ソウル・梨泰院雑踏事故で生き残った2人の1年 「記憶と安全の道」真相究明と記憶継承への思い

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ガヨンさんは「セウォル号の事故で長い間苦しんだ知人がいるが、自分がこのような惨事を直接経験することになるとは思っていなかった。誰でも身近な誰かに起こりうることだと考えれば、2次加害も減る」と語った。

チョロンさんも「いつかまた別の事故が起こるかもしれないが、そうだとしても事故に対してきちんと謝罪できる社会になれば、残った人々の苦しみは少なくなるはず」と語った。

事故生存者のキム・チョロンさん(写真・『ソウル新聞』カン・ドンヨン記者)

【訳注】セウォル号事故;2014年4月16日、韓国・仁川港から済州島へ向かっていた大型旅客船「セウォル号」が海上で転覆・沈没した。修学旅行中の高校生325人と教員14人、一般客108人、乗務員29人の計476人が乗船、死者299人、行方不明者5人を出す大惨事となった。

生かされない生存者たちの証言

2人は事故の生存者に対する支援制度の不十分さを指摘し、「間違いが繰り返されてはならない」と強調した。ガヨンさんが住む地方自治体は心理治療支援を受けるためには「梨泰院に行った」ことを証明できる写真を送るよう求めた。

結局、母親がガヨンさんを探して歩き回っていた当時の会話履歴のスクリーンショットを提出した。治療支援期間は6カ月で、さらに治療を受けるには証拠書類をもう一度出さなければならなかった。

しかし、今も回復途中の生存者たちにとって1年という時間は、事故を完全に乗り越えるには短すぎた。ガヨンさんは「事故のトラウマで数十年間睡眠剤を飲み続ける人もいる。カウンセリングを含む支援について、生存者の意見を聞かないというのは理解ができない」と語った。

梨泰院の事故発生現場では、雑踏事故から1年を前に、遺族と地域住民をはじめとする市民たちの思いが込められた「10・29記憶と安全の道」が作られた。

10・29梨泰院雑踏事故遺族協議会と10・29梨泰院雑踏事故市民対策会議は26日、「梨泰院が苦しみと悲しみのみによって記憶されないことを願う」として、1年かけて整備された道を公開した。

ソウル市龍山(ヨンサン)区にある梨泰院駅の1番出口前から40メートルほど歩くとすぐに見える路地には、道の始まりを知らせる「10・29記憶と安全の道」と書かれたモニュメントが設置された。また、路地をイメージした石碑が建てられた。

路地の入口の地面に刻まれた「私たちにはまだ記憶せねばならない名前があります」という文言を通り過ぎ、路地に沿って上っていくと、事故によって生じた亀裂に似た斜線形の照明が足元を照らす。路地の右側に設置された3つのモニュメントは2カ月ごとに新しい作品に取り替えられ、さまざまな追悼メッセージが掲げられる計画だ。

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