意外と知らない「人種」という概念が広がった経緯 「科学的人種論」は否定されても残っている差別

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この種の議論に異を唱えたのは、ドイツ生まれのアメリカ人で人類学者のフランツ・ボアズだ。彼は自身の研究を通じて、先住民族の才能に気づいていた。そして頭蓋のサイズは知性と無関係で、むしろ栄養や健康状態で決まることを明らかにした。1899年からコロンビア大学の教授を務めたボアズは多くの優秀な人類学者を育てたが、「科学的人種論」の勢いはアメリカでもドイツでも止まらなかった。その行き着いた先がナチス・ドイツである。

最も悪意に満ち、欧米社会の人種観に最も深刻な影響を与えたのは1853年に出た『人種不平等論』だ。著者はフランスの外交官でもあったジョゼフ=アルチュール・ド・ゴビノー。白色人種はその卓越した知性ゆえに最上位であり、黒人の知性は「非常に狭い範囲」にしか及ばないので最下位だと論じた。さらに「混血」は人種の純粋性を汚し、文明の衰退につながるという悪魔的な主張を掲げた。これを知ったアメリカのジョサイア・ノットはさっそく同書を英語に訳させ、1856年に出版して奴隷制擁護の論陣を張った。

ヨーロッパでは、金髪で目の青いアーリア人こそ理想の人種だというゴビノーの主張が途方もない悲劇を招いた。ナチスのアドルフ・ヒトラーはこれを根拠に、ユダヤ人やロマ(ジプシー)の「根絶」を正当化したのだった。

それでも差別は消えず

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ナチス流の「優生学」とホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の悲惨な結果を目の当たりにして、ついに「科学的人種論」は否定された。1950年にはユネスコ(国連教育科学文化機関)が、あの大戦を招いた「偽りの神話」や「迷信」を非難し、人種による差別は「非科学的で間違い」だと宣言した。

それから何度かの修正を経て、ユネスコは1978年に新たな「人種と人種的偏見に関する宣言」を出した。そこでは世界中のすべての人が「知的、技術的、社会的、経済的、文化的、政治的な発展の最高レベルに到達する能力を等しく有している」と明記された。また到達レベルの違いは地理的、歴史的、政治的、経済的、社会的、文化的な要因によると説明されている。

つまり、人種による差異は生物学的なものではなく、外的な要因による。そういう知見が学術的に確立されても、「人種」や人間の多様性をめぐる疑問や議論は絶えない。人種にまつわる差別や偏見は簡単に消えるものではなく、現代社会にも根深く残っている。

ネマータ・ブライデン(編集顧問)

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米ジョージ・ワシントン大学教授(歴史、国際関係)。専門はアフリカ人、とりわけ世界各地に拡散するアフリカ人の研究。アフリカだけでなく欧州各国や旧ソ連に滞在した経験もある。著書に African Americans and Africa: A New History など。

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