イスラエル、なぜ「3つの宗教の聖地」となったのか 戦禍が絶えない理由を地理から紐解いてみる

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エルサレムは経済的な要所ではなかったが、ユダヤ人にとっては歴史的に意義のある都市であった。

ユダヤ人の祖国復興の動きは、1897年から「シオニズム運動」として強まった。強い民族意識が、2000年の離散した状態にもかかわらず、パレスチナの地にイスラエルを建国させたのである。

このユダヤ人の建国を推進させたのはイギリスである。1917年から支配および委任統治していたパレスチナにおいてイギリスは、第一次世界大戦中、ユダヤ人国家の成立を認める代わりに欧米で富豪となったユダヤ人(企業)の援助を受けたのである。その一方で、アラブ人に対しては、トルコ反乱を制圧させる代償として、アラブ人によるパレスチナの独立を約束した。

その結果が、第二次世界大戦後の1947年、国際連合「パレスチナ分割決議」である。

パレスチナの土地はユダヤ国家とアラブ国家、そして国連管理下の国際都市エルサレムに分割され、ユダヤ人はそれを受諾しイスラエルを建国した。これが双方の対立を生じさせ、イスラエルと周辺のアラブ諸国は、1948年から1973年にかけて4度にわたり戦争を起こした。

第一次中東戦争において、エルサレムは東西に分けられ、西エルサレムがイスラエル、東エルサレムはヨルダンとなった。イスラエルは1950年にエルサレムを首都と宣言し、1967年の第三次中東戦争により東エルサレムをも実効支配している。

3つの宗教の聖地エルサレム

東エルサレムの旧市街地は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム(イスラム教徒)がそれぞれ多く住む地区に分けられる。3つの宗教の人々が住んでいるのは、エルサレムが3つの宗教それぞれの聖地であるからである。

ユダヤ教徒にとっては、エルサレム神殿がおかれていた聖地である。紀元1世紀にローマ帝国により破壊されたが、今も残る神殿の一部が有名な「嘆きの壁」である。「嘆きの壁」の前ではユダヤ教徒が祈りをささげている。

キリスト教徒にとっては、エルサレムはイエス・キリストが地上での最後の日々を過ごし、十字架にかけられた場所である。聖墳墓(せいふんぼ)教会にはキリストの墓があるとされる。そのため、2世紀以降にはキリスト教の巡礼者が多くなった。

ヨーロッパのキリスト教会や美術館には宗教画が多く陳列されているが、十字架にかけられたキリストの作品を多く見ることができる。こうした宗教画は、聖書の文字を読めない人にも視覚的にキリストの物語を理解できるのに役立った。

つまり、キリストが十字架にかけられたエルサレムは、キリストの最後の地である聖地として、聖書や宗教画を通して強く認識されたのである。

エルサレム旧市街(『世界の今がわかる「地理」の本』より)
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