ところが、1年後になると、
「わし、130歳まで生きることにしたわ」
「えっ? 106歳と言われていましたよね」と言うと
「いや、あれは、やめや」
聞くと、日本人の最長寿者は、123歳だと言う。
「それでな、125歳でもええんやけど、130歳を生きると決めたほうが、少し早目に逝くとしても、記録をつくれるわけや」
そういう気持ち、気力で生きていくということは、確かに大事なことだと瞬間思ったから「ぜひ、130歳までお元気で活動してください」と応じた。
六十、七十は鼻たれ小僧
ところで調べてみると、実際には123歳は日本の長寿記録ではない。日本では116歳、世界では122歳164日である。誰かが間違えて、話したのかもしれないが、そのようなことはどうでもいいことで、高齢になって「明日はない」などと思って毎日消極的になるより、「まだまだ元気で生きなければならない」と思っていたほうがいいのは確かだろう。
文化勲章受章者で、107歳まで活動した彫刻家、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)も、満100歳の誕生日を前に30年分の材料を買い込んだエピソードは有名。平櫛の「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」とか、「いま、やらねば、いつできる。わしがやらねば、だれがやる」という言葉は、今も人口に膾炙(かいしゃ)している。
この130歳まで生きるという話は、さらに続く昭和50年(1975)、松下は80歳になった。80歳は八と十を組み合わせると傘になるから「傘寿(さんじゅ)」だが、80歳は数えでは81歳ということからか、「半寿」と熨斗紙に書いたお祝いをもらった。「半寿(はんじゅ)」という言葉を私は知らなかったが、松下も知らなかったようで、
「きみ、満80歳は半寿と言うそうや」
と言う。
八と十と一を組み合わせると、半という字になるところから、そう言うらしい。松下は、この言葉に、おおいに関心を持った。
「きみ、80歳で半寿とすれば、全寿なら、160歳になるわね。そういうことなら、わしは160歳まで生きようとそう決めたんや。きみ、そういうことで、これから過ごしていくからな。面白いやろ」
面白いと言われても、奇想天外、理解不能状態、どう答えていいのかわからないから、「ぜひ、160歳までお元気でいてください」という以外に言葉がなかった。
しかし松下が、それぞれの数字はともかく、それを前提に日々を力強く過ごすようになったのは確かだと思う。
夜遅く辞するとき、ベッドで横になっている松下は、私が制するにもかかわらず、必ず、ベッドから起き上り、スリッパを履いて出口まで私を見送ってくれた。出口まで、並んで歩きながら、たいてい同じ言葉を松下は私に呟いた。
「きみ、いろいろと考えとるんやけど、あれも、これもやらんといかんと思うことが、いっぱい出てくるんや。けどな、どれも、きみに手伝ってもらわんと出来へんことばかりや。そういうことで、きみ、体には十分気をつけてくれや。わしより、はよ逝ったらあかんで」
こういう一言で、私のその日一日の疲れが吹き飛んでしまうのが、つねであった。
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