山崎光夫
「たまにはお茶しましょう」とは女性が集まっておしゃべりするときの常套句。ストレス発散の場でもある。男なら、「一杯やろうか」になる。お茶とお酒で男女の違いが出る。
お茶といえば、戦国時代の武将・浅井長政の娘に「おちゃちゃ」がいる。初(はつ)、江(ごう)とともに、3姉妹の長女。「おちゃちゃ」はのちに秀吉の側室となり淀君と呼ばれた。この淀君と正室・おね(北の政所)とは犬猿の仲。この2人に“黒百合事件”なる事件が発生する。
北の政所は茶の湯の愛好家として知られ千利休とも交流している。あるとき、信長の旧臣・佐々成政が加賀の山・白山(はくさん)から採ってきた珍花中の珍花、黒百合を献上した。
興を覚えた北の政所は、
「お茶しましょう」
とばかり、淀君や利休の娘などの客たちを招いて茶の会を開いた。
ところが、淀君は事前に茶会の趣向を探り、黒百合も自ら入手していた。会の席では珍花にもさして驚きもせず、ごく普通に振る舞った。
その数日後、今度は淀君の屋敷で花摘みの供養が開かれ北の政所も招かれた。するとそこに黒百合が撫子(なでしこ)ほかのごく普通の花と一緒に活けられていた。珍花、黒百合がさげすまれた扱いを受けていた。
北の政所は恥をかかされたといらだった。このためか、黒百合を用立てた佐々成政は 領地・肥後を没収され、切腹。肥後は加藤清正と小西行長の両人に分配された。この両武将は関ヶ原の戦いでは敵味方に分かれて戦った。戦国時代の「お茶しましょう」は、日本を二分する戦いに巻き込んだともいえる。
また、茶の湯の世界で言われるのは、茶会で避けるべき話題に、
「我が仏、隣の宝、婿舅(むこしゅうと)、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」
がある。
宗教論議、財産話、家庭問題、政治談議、人のうわさ話は控えるべきという教えである。
話題を考慮しないと無粋として嫌われる。
この心構えはビジネスの世界でも通用するだろう。
さらに、ヨーロッパ人はお茶を求めてアジアに大航海を企てた経緯もあり、お茶には人々を酔わせ、狂わせる何かがあるのかもしれない。お茶、恐るべしである。
その昔、といっても昭和40年代の話だが、喫茶店にドアガールなる女性がいた。
「何する人ですか?」
と今どきの若い女性に聞かれたものである。
「ドアガールというくらいで、客が現れるとドアを開ける女性だ」
「入口のドアをですか」
「そう、それがサービスだった」
だが、次の言葉に私は驚いた。
「バカみたい」
と若い女性は言った。
なるほど、自動ドアの昨今、ドアガールなど考えられないだろう。加えて、男女平等、男女雇用機会均等法の時代である。
当時、ドアガールは高級喫茶店に配置されていたので、マスコットガールとして、憧れの職種ではあった。それが今やバカみたい、と言われる。喫茶店はセルフサービスのカフェテリアスタイルが主流になった。
お茶を取り巻く世界を分析、解剖すれば世の中が見えてくるかもしれない。

昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル
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