習近平「一帯一路」構想が10年で完全に変質の背景 中国の超あいまいな方針に日本はどう付き合う

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中国は国際社会での影響力拡大を狙う。写真は2023年8月24日にBRICS首脳会合に出席した習近平国家主席(写真:Bloomberg)

中国の「一帯一路」とは何だろうか。筆者はニューヨークの国連代表部に勤務し始めた2017年の秋、数年ぶりに中国外交に触れ、そのような疑問を持った。当時、中国は様々な国連決議に「一帯一路」という文言を入れ込もうとし始めていた。ただ、「一帯一路」が何かを説明できる中国人など誰もいないのではと、笑いながら言う中国の友人もいた。

中国が「一帯一路」構想を提唱して今年で10年を迎える。今年の10月には北京で第3回「一帯一路」サミットが開催されると報じられており、ロシアのプーチン大統領の訪中が取り沙汰されている。

一方、イタリアが「一帯一路」からの離脱を検討する等、「一帯一路」との距離感にはいまだに議論が尽きない。「一帯一路」はこの10年で何か変わったのだろうか。日本はこれとどう向き合うべきなのか。

走りながら考えられてきた「一帯一路」

「一帯一路」はあいまいな概念である。一般に、「一帯一路」は、中国と欧州とを結ぶ古代の貿易路(シルクロード)を参考にして、陸上と海上のルートで中国と欧州を結び、その沿線国との経済的な結びつきを強化する構想だとされる。しかし、その具体的な内容は当初から明確ではなかった。

構想が打ち出されると、政府や中国企業が沿線国でのプロジェクトに「一帯一路」の名前をつけ、中国主催の種々のイベントが「一帯一路」と関連づけられた。構想が先に打ち出され、具体的なあり方は実践の過程で考えられ、形作られてきた。そのため、提唱されてから10年が経過した現在でも、明確な定義は難しい。

そもそも、「一帯一路」という言葉は、習近平国家主席が2013年9月および10月に、「シルクロード経済ベルト」及び「21世紀海上シルクロード」をそれぞれ提唱したのが初めとされている。だが、これらをまとめて「一帯一路」と表現し始めた時期は明らかではない。

党機関紙「人民日報」のデータベースによれば、習近平主席が最初に「一帯一路」という言葉を使用したのは、2014年2月のプーチン大統領との会談である。同会談において、習近平主席は、上記2つの「ベルト(帯)」「ロード(路)」に言及し、ロシアとの間で、この「一帯一路」を進めていきたい、と置き換えている。

 「一帯一路」は地理的範囲もあいまいになりつつある。中国政府による「一帯一路」のサイトには、「一帯一路」に関する協力文書を結んだ国のリストが掲載されている。当初、「一帯一路」は中国と欧州を陸と海で結ぶ経済構想だとされたため、協力文書を結んだ国は、沿線である東南アジアや中央アジア、中近東の国々が多かった。

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