横浜駅焼失や列車転落「関東大震災」神奈川の惨状 甚大な鉄道被害、土石流で海中へ崩落した駅も

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その後、熱海軌道は熱海線の資材を運ぶのにも有用なことから復旧することも考えられたが、被害の甚大さと、すでに熱海線の熱海・沼津方面への延伸が進められていたことから、将来性がなく、結局そのまま全線廃止されることになった。

ちなみに、この熱海軌道のさび付いたレール3本が、熱海市立図書館の倉庫で保管されている。1990年6月に熱海市伊豆山稲村の国道で水道工事中に発見されたもので、大きく湾曲しているのは、震災時に加わった圧力によるものと推定される。このレールが人車時代のものか軽便時代のものか確定はできていないが(おそらく軽便のものであろう)、いずれにせよ歴史を伝える貴重な遺物である。

熱海軌道の湾曲したレール
熱海市立図書館で保管されている熱海軌道の湾曲したレール(筆者撮影)

熱海市立図書館館長の小林啓一さんは、「人車・軽便鉄道が開通したことで熱海への交通が便利になり、東京から多くのお客さんが来るようになった。それが震災で廃止されたために客足が遠のき、熱海線の開通が待ち望まれた。このレールはこうした熱海の交通史を伝えていくための格好の材料だが、残念ながら予算の都合もあり、きちんとした展示場所を確保できずにいる。別の場所で保管されている枕木などもあるので、今後、資料室のようなものをつくることができれば」と話す。

熱海軌道の機関車
熱海駅前広場に保存されている、熱海軌道で使用された機関車(筆者撮影)

「再起不能」とまで言われた登山鉄道

最後に、やはり震源地に近く、多大な被害が発生した箱根登山鉄道について見てみよう。当時は小田原電気鉄道という社名で、小田原駅前から小田原市街を経由して箱根湯本までを結ぶ軌道線(路面電車)と、箱根湯本と強羅間を結ぶ登山鉄道、さらにケーブルカーを運行していた。登山鉄道は1919年の開業であり、震災に遭遇したのは開業からわずか4年後だった。

まず、軌道線の被害内容を見ると、「小田原駅は大破、幸町車庫は収容電車もろとも全焼(客車25両中14両、貨車13両中3両焼失)、箱根湯本駅は裏手の断崖が崩壊して駅舎が大破、停留していた電車は埋没等々」(『箱根登山鉄道のあゆみ』)と、車両の半数および、ほとんどの建造物を失った。

箱根湯本駅 関東大震災の被害
関東大震災による箱根湯本駅の被害(写真提供:箱根登山鉄道)
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