横浜駅焼失や列車転落「関東大震災」神奈川の惨状 甚大な鉄道被害、土石流で海中へ崩落した駅も
神奈川県における鉄道被害を象徴する写真がある。記事冒頭に掲示した「焼失横濱駅ノ残骸」と題する2代目横浜駅の被災写真である。1872年の鉄道開業(新橋―横浜間)時の横浜駅は現在の桜木町駅だったが、1887年に東海道線が国府津まで延伸されると、線形上、同駅でスイッチバックせざるをえなくなった。
しかし、これでは効率が悪く、1915年に高島町に移転し、2代目横浜駅が開業した。その駅舎は鉄骨2階建てレンガ造り、前年の1914年に開業した東京駅丸の内駅舎とよく似た瀟洒なデザインだった。
ところが、この駅は開業からわずか8年後に関東大震災に遭遇。屋根部分が跡形もなくなった駅舎や、火災に巻き込まれた市電の残骸が写っている前掲の写真は、被害の深刻さを物語っている。
横浜駅も市電も壊滅した
このような横浜駅の惨状を見れば想像にかたくないが、当時、横浜市内に約20.4kmの路線網を形成していた横浜市電も、甚大な被害に見舞われた。
市電車両の被害について、『横浜市営交通八十年史』には「地震は昼前に発生したが、このころ市電は保有車両の約半数が稼働していた。運転中の電車は、送電がと絶えたためにストップし、そのうちに火に包まれて各所で焼失した」とある。当時の市電の車両保有台数は143台で、うち72台が焼失、13台が大破するなど、保有車両の半数以上を失った。また、高島町車庫が焼失、滝頭車庫・工場が倒壊したほか、変電所も火災に遭うなどした。
しかし、このような大被害を受けたにもかかわらず、震災からわずか1カ月後の10月2日には神奈川駅前―馬車道間(約3.1km)に最初の電車が走り、10月26日までには、ほぼ全路線が復旧した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら