89式小銃は採用されて四半世紀を超えるが、いまだに旧式の64式小銃との更新が終わっていない。しかも調達単価は約32万円と、同時代に開発された米国など他の先進諸国の小銃の約8倍だ。当然ながら訓練、兵站(へいたん)は二重となり、部品の量産効果もでにくく、運用コストは高くなる。これまた何年で調達を完了し、総額がいくらかかかるかも国会で審議されたことはない。このような装備調達のシステムを無責任と言わずなんと言えばいいのだろうか。
当然ながら我々、納税者もこれらの情報を知らされていない。だが新聞やテレビというマスメディアはこのことを問題として取り上げず、オスプレイは危険とか、あるいは米軍のオスプレイ配備に対する沖縄の感情など、情緒論ばかりを報じている。メディアは社会補償費や年金などは微に入り細に入り報道するが、防衛省に関しては納税者の視点にたった税金の使い道に無頓着である。
防衛省の装備調達には「時間」と「総額」という概念が存在しない。そのような形で設備投資を行う民間企業はないだろうし、もしあれば、株主や取引先銀行から指摘されて、是正をするだろう。
自衛隊は企業ではないから特別?
こう指摘をすると、「自衛隊は企業ではないではない。企業における常識と比較することに何の意味があるのか」との反論が必ず、寄せられる。しかし、自衛隊の調達手法は軍隊としてみても、かなり例外的なものだ。他の主要な民主主義国家においては、新しい装備の調達が計画される場合、それをどのような戦略、ドクトリン(戦闘教義)の下に、なぜ必要かが開示される。また、どの程度の数が必要か、いつまでに必要かも事前に開示される。
輸入ではなく国産開発を選ぶのであれば、開発予算はどの程度必要か、期間はどの程度かかるのかも議論される。プロジェクトの総額を議会に対して説明し、その計画を議会が承認することによって、はじめてGOサインが出る。
ところが日本では、国産開発に際して、調達数、調達期間、プロジェクトの総予算が示されないまま、国会では「議論」されたことになってしまう。そして防衛省が示した開発予算は、ほぼそのまま通ってしまうのだ。調達に関しても同様であり、調達数、調達期間、プロジェクトの総額が明示されないまま、国会に初年度の調達予算が提出され、これまた「審議」されたことになって予算が認められる。
これでは、国会と文民統制が機能しているとは言いがたい。
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