ルーシー・ブラックマン事件、15年目の真実 毒牙にかかった女性は150人以上

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だが著者は、この手の安易なラベリングを徹底的に回避する。

21年という、ただでさえ短かったルーシー・ブラックマンの人生。だが東京に来てから殺されるまでの期間は、わずか59日。そのほんの一部分の出来事だけを切り取って、ルーシーの人生を憐れで可哀想な被害者と規定することは、はたして妥当なことなのか? 著者の思いは、そんな疑問に端を発する。

そして彼女をニュースの主人公としてではなく、ひとりの人間として見られるようになるまでには、人々の間で事件が風化するほどの長い歳月と、気の遠くなるような膨大な量の取材が必要であった。

“虚構”も現実…… 直視して見えてくる真実

世の凄惨な事件は、数多くの事象が複雑に絡み合って起きるケースが多い。それは現実の上に、さまざまな虚構が覆いかぶさっていることによるものだ。『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』(早川書房)の真骨頂は、この虚構を現実の対極としてではなく現実の一部として描いている点にある。つまり、虚実を現実として描き、真実に近づいていくのだ。

すべては六本木のナイトクラブから始まる。そこは水商売という、現実と虚構が入り混じった世界への入り口であった。ホステスと客の関係は、それぞれが役割を演じるロールプレイング・ゲームのような側面がある。男女が恋愛関係にあるかのように振る舞い、女は何も与えることなくおカネを獲得しようとし、男はクラブの勘定だけでなるべく多くを獲得しようとする。

だがゲームにはすべからく、ルールというものが存在する。客とホステスを含めた全員が、一線の引かれた場所や、どんな行為が一線を超えるのかを暗黙的に了解しているのが通常だ。何かトラブルが起こるとすれば、そこにはルールに関する認識の相違や、明確なルール違反が存在する。ルーシーの失踪も、店外デートの最中に起こった出来事であった。

そして、役割を演じるというゲーム性は水商売のシーンのみに留まらず、この事件の節目節目で大きな意味を持っていた様子が伺える。日常生活の中でよく見られるほんの些細な虚構。それは運とタイミングが異なるだけで、底なし沼のような黒い迷宮を構築してしまう。

ルーシーの失踪後、ほどなくして彼女の父親が来日する。記者会見に応じた父親もある意味、ひとつの役割を演じるゲームに興じていた。記者たちに細かい情報を提供し、節度あるコミュニケーションをする。夜には記者たちと夕食を食べに行き、記者会見では憐れな被害者の父親像を演じる。そこにはルーシーの失踪が少しでも多く報道され、サミットで来日するトニー・ブレア首相(当時)を巻き込むための、したたかな計算があった。

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