タワマンの「学歴成金」家族を狙う私立中学の実態 中学受験×タワマン文学対談<後編>

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おおた:あのセリフを読んだとき、「何も失ってない。あんなに必死になっていても、むしろ何も得ていなかったってことに気づいたのかな」と私は解釈しました。必死に何かにしがみついていたけれど、実は何も手にしていなかった。

都心の競争社会のなかで何かを得なければいけないという強迫観念をもたされてしまっていたけれど、その強迫観念こそを手放してみたら、「あれ? 必要なものはもともとあったじゃん」って気づく。その意味では、メーテルリンクの『青い鳥』みたいに窓際さんの本を読みました。

窓際:ありがとうございます。湾岸エリアって、強い同調圧力が働いていて、学校によっては7〜8割が中学受験するんですよね。でも子どもがみんな中学受験に向いているわけじゃないから当然無茶する家族が出てくる。

伝統難関校と国際系新興校のどっちを選ぶ?

おおた:もう10年以上前ですけれど、ある私立中高一貫校の校長先生が、「後発の学校が生徒を集めようとしたら、品川とか白金とか、タワマンがたくさんつくられているエリアを狙ってマーケティングするんだ」とおっしゃってました。

地方から出てきた「学歴成金」のパワーカップルをターゲットにするんだと。学歴成金ってえげつない表現ですけど、良くも悪くも学校に対するブランドイメージや先入観がないから、「新しい教育をします」というメッセージにひっかかりやすいし、偏差値が高いだけでいい学校だと思ってしまう。その先生は10年以上前に、現在のタワマン文学の設定を見通していたといえますね。

窓際:まさに今日はおおたさんと、新興校の戦略について話したいと思っていたんです。最近だと伝統難関校を蹴っていわゆる国際系新興校に行くみたいなケースが、私のまわりでは増えていて。いまどきの親が子どもに期待することは、いい大学に行くことじゃなくて、その先を見据えているようです。

グローバル教育で英語が得意になって、就職が有利になるんじゃないかとか、共学のほうが異性とのコミュ力がつくんじゃないかとか、どんどん求めるものが増えている気がするんです。

おおた:なるほど。いかにもいまどきのハイパーメリトクラシー(超功績主義)な世相を反映した考え方ですね。でも、私は逆に感じています。伝統校であれ新興校であれ、すべての学校が「大学進学は通過点でしかない」と言いますが、「その先」をどんな射程で見ているかに大きな違いがあると私は思っています。

新興校がアピールするのは、変化の激しい競争社会における、ビジネスパーソンとしての“成功”ですよね。でも伝統校には、さらにその先を見据えて、どういう美学をもって生きて死んでいくべきなのかを伝える文化があります。卒業生たちがその価値に気づくのはたいていの場合、働き盛りをすぎようかというころです。

伝統難関校を、いい大学に行くための踏み台でしかないように思うのは、誤解ではないでしょうか。いい大学に行くのは通過点でしかないと言った「その先」が、ビジネスパーソンとしての成功だとしたら、ずいぶんとスケールの小さな教育だなと私は思ってしまうんです。だって人生100年時代なんですよ。

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