茨城発のカフェ「サザコーヒー」が東京でウケる訳 地元食材をメニューに反映、コーヒーの質に磨き

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サザコーヒーには積極投資の前例がある。1989年、現在の本店竣工の際に鈴木会長が約3億円を借り入れ、数年前に完済した。「返済は大変だったが、エネルギーにもなった」と会長は振り返る。

そんな同社が半世紀続く人気店になったのは、次の理由が考えられる。

① 昭和の喫茶店ブームに乗った。

② 定番品を磨き、新商品や新サービスで鮮度を打ち出した。

③ 東京出店で知名度を上げつつ、茨城県を大切にした。

①については、サザコーヒーが開業した昭和40年代以降に喫茶店ブームが起き、1981(昭和56)年には喫茶店の国内店舗数が「15万4630店」(※)と過去最高を記録。その流れに乗って同社もひたちなか市(当時は勝田市)以外に、水戸市や日立市(当時)にも店を開いた。※総務省統計局「事業所統計調査報告書」をもとにした全日本コーヒー協会の発表資料

だが現在、昭和の人気店の大半は姿を消した。主な理由は、「店主と常連客の高齢化」や「建物の老朽化」(建て替え費・移転費の負担増を避けて体力のあるうちに閉店)だ。繁盛店の閉業には後者の例も多かった。

サザがそうならなかったのは、客も従業員も新陳代謝したからだ。昔からの常連客が今でも足を運ぶ一方で、新規客も多い。今年、本店を取材した際、たまたま居合わせた常連客(年配の女性2人)を紹介してもらった。店が映画館内にあった時代から来店しているという。

JR勝田駅から徒歩約8分にある「サザコーヒー本店」(2021年、筆者撮影)

コーヒーを磨き続けるが、マニア向けにしない

②の定番品の代表は、主力でもあるコーヒーだ。日本のカフェ・喫茶店の盛衰と向き合うと、「コーヒーを磨き続けないと行き詰まる」と感じている。

同社は早くからコーヒー生産地を直接訪問し、高品質なコーヒー豆を買い続け、生産者との信頼関係を築いてきた。1990年代後半にはコロンビアで直営の「サザコーヒー農園」経営に乗り出し、若き日の太郎氏が現地に派遣され、栽培を軌道に乗せた。

コーヒーを抽出するバリスタの育成にも力を入れ、国内競技会のJBC(ジャパン バリスタ チャンピオンシップ)では、毎回上位入賞を果たしている。そこで大切にしているのは、決して「コーヒー道場」的なマニア向けにしないこと。ドリンクを飲みたい人が気軽に寄れる雰囲気づくりにも力を入れている。

5月の農大店オープン時に本格投入された「サザぱん」に代表されるように、新商品開発にも力を入れている。また各種のイベントで振る舞う試飲コーヒーは“タダコーヒー”とイジられるほど定着。こうした施策により常連客をつなぎ留め、新規客を獲得してきた。

③の出店戦略に関しては、首都圏6店(5店が東京都内)以外の11店は茨城県内。本拠地・茨城への思いは強く、メニューにも反映されている。県特産のいちごやメロン、イチジクや栗などの地元食材を使ったドリンクやスイーツを販売することで「茨城のカフェ」も際立つ。

消費者の好みや流行は、時代とともに変わるので、伝統商品だけでは生き残りが厳しくなる。同社に限らず「雰囲気・商品・接客を進化させた個人店」は強いのだ。

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