その思い込みは、自分が実際に感じたことではなく、まわりの人や世間の感情や思考が勝手に入り込んでいたということもあるのです。
学生時代に同級生たちと「友だちが少ない人って、なんかかわいそうじゃない?」という話で盛り上がっていたり。
メディアによくある「友だちが多いと、人生が豊かになる」みたいなメッセージをまっすぐに受け取ってしまっていたり。
そんな自分以外の誰かの認知をそのまま受け取って思い込んでいたりするのです。
自分の「認知」を疑ったり、ひもといていくうちに、認知を変えていくことができます。すると「自分は実は幸せだったんだな」と気づいたりするんですよ。
「べき思考」を疑う習慣
「認知」について、もう少しお話ししますね。
偏った認知を続けていると、考え方のクセとなってしまうことがあるので要注意です。
考え方のクセは、「認知のゆがみ」と呼ばれるものも含め特徴的なものがいくつかあります。
それらを知っているだけでだいぶ違います。知識をもっておくだけでも、変化が起きると思います。
よくない考え方のクセの1つに「べき思考」があります。
例えば、世の中には「女性は結婚して子どもを産むべき」「上司のどんな指示にも従うべき」「子どものために親は自分のことを我慢すべき」「人は努力して向上すべき」などなど、いろいろな「べき」が存在します。
本心から「結婚したい、子どもを産みたい」とか「上司のどんな指示にもついていきたい」と思うのならいいのですが、まわりの人や世間の価値観に影響されているだけのこともあったりします。
それなのに、「べき思考」にとらわれて「結婚しなきゃ、子ども産まなきゃ」とあせったり、「あんな厳しいことを言う上司の下で働き続けられるかな。転職しようか。でも、転職できるかわからないし」などと思い悩むわけです。
だから、自分の「べき思考」を疑う習慣をもちたいですね。
例えば、「結婚すべきってよく言われるけど、私って本当に結婚したいのかな?」とか「上司の言うことには従うべきかもしれないけど、いくら上司とはいえ、こんな厳しい仕事に耐えなきゃいけないのかな?」と自分に問いかけてみるのです。
すると、「本当は仕事をがんばって自立した人間になりたいかも」とか「上司の指示より自分の心や体調のほうが大事かもしれない」と、「べき思考」の向こうにある本心に気づけたりします。
「べき思考」は自分だけじゃなく、相手に向けられることもあります。こちらも注意が必要かもしれません。
「デートなのに割り勘だなんて」と不満に感じる場合は、「男の人が多く出すべき」という「べき思考」を相手にぶつけているのかもしれません。
他人にイライラしたり、がっかりしたりしてしまうときは、自身の「〜するべき」を他人にも「期待」として無意識に押しつけてしまってるときだったりします。
ですが、自分だって他人の期待どおりには動かないように、他人は自分の思いどおりには動きません。
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