70歳「元応援団」3人が友の通夜で追憶した青春 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(1)

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こんな迷言を覚えているのは、後に身に沁みたからだ。口もとのゆるみを頼りに天文学者を目指すより、公務員の親が敷いたレールに乗り、市役所に勤めた人生は、幸せとは言い難かった。巣立の極意は正しかった。残念なのは、私がそれを信じなかったことだ。

遺影の巣立と目が合う。ワンサイズ大きめを選んだはずの喪服が、窮屈に感じた。

お経を唱え終えた僧侶が退席する。「通夜ぶるまいのお席へどうぞ」というアナウンスに促され、私たちも移動した。

会場である女湯の洗い場には、カエルのキャラでおなじみの黄色いプラスチックの椅子が並び、その前に食事が用意されていた。女湯をじろじろと見回すのも気が引けて、椅子に腰かけながら、さりげなく視線を巡らせる。造りは男湯とさほど変わらなかった。

「応援団をやっていた頃を思い出すな」

練習帰りには必ず、巣立湯で汗を流したものだ。

「僕なんか、いまだに覚えてるからね。野球部の都大会準決勝」

「あの試合は忘れるわけないだろうよ」

「そりゃそっか」

ことさら笑みを浮かべた宮瀬は、茶碗蒸し用のスプーンをマイクに見立て、実況中継を始める。

「延長12回の裏、1点ビハインドで迎えた我が校の攻撃。炎天下で叫び続ける応援団も、疲労がピークを迎えているようです。おっと、ここで団員たちが何か叫んでいます」

突然マイクを向けられ、「シャイニングしてきたぞっ」と応えてしまう。

「でたー。必死にエールを叫び、酸欠になったことで、目の中で星がキラキラと瞬く現象。人呼んで、シャイニングエール!」

「シャイニングした時は、必ずミラクルが起きる」

当時の興奮が蘇り、呼吸が速くなる。あの日、我が校は怒涛の連打を畳み掛け、逆転勝利を収めた。

「それが人生」

「あの夏が、人生のクライマックスだったな……」

黙っていた板垣が口を開く。目尻に寄った深い皺が、笑みではなく、憂いているように見えた。クライマックスという表現が、その後の人生が下り坂であったことを示すように聞こえたからだ。

「確かにね。応援したい相手がいて、迷いなくエールを口にできて、張り上げた声がそのまま相手の力になる」宮瀬がぽつりと言った。「がんばればがんばった分だけ結果に表れるなんて、贅沢なことだったんだよね」

高校時代、あんなに輝いていた板垣や宮瀬でさえも人生を悔いていることに、やるせなさを感じた。

「失くさないと持っていたことにも気づけない。それが人生だな」

私は肩を落とした。

「衰えないと価値があったことすら見出せない。それが人生だよ」

宮瀬が肩をすくめた。

おかげで、死ぬのが楽しみになった
『おかげで、死ぬのが楽しみになった』(サンマーク出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

「下り坂になって山頂であったことを思い知る。それが人生かよ」

板垣が肩を怒らせた。

時計に目をやると、21時を過ぎていた。

「ちょっと、小便」

板垣が杖を手に取り立ち上がった。そそくさと浴室を出て行く。

「板垣が小便っていう時って、たいてい、なんか隠してたよね」

宮瀬の目がきらりと光る。

「そんなこと、よく覚えているな」

「そんなことだけはね……」

宮瀬はため息を一つ吐き、板垣の後を追う。私も慌ててついていく。

脱衣場では、板垣が首を伸ばし、祭壇の奥側を覗き込んでいた。

(7月15日配信の次回に続く)

遠未 真幸 小説家

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とおみ まさき / Masaki Tomi

1982年、埼玉県生まれ。失われた世代であり、はざま世代であり、プレッシャー世代でもある。ミュージシャン、プロの応援団員、舞台やイベントの構成作家を経て、様々な創作に携わる中で、物語の持つ力に惹かれていく。『小説新潮』に寄稿するなど経験を積み、本作を6年半かけて書き上げ、小説家デビュー。「AかBかではなく、AもあればBもある」がモットーのバランス派。いつもの道を散歩するのが好きで、ダジャレと韻をこよなく愛す。

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