人気映画「RRR」で描かれた激動のインド近現代史 イギリス植民統治下での激動の独立闘争を描く

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映画の冒頭、デリー郊外にある警察の施設にインドの民衆が大挙して押しかけるシーンがある。これをインド人警官のラーマが1人で撃退するという超人的な活躍を見せ、観客は一気に作品の世界に引き込まれる。

このとき民衆が要求していたのが、「ラーラー・ラージパト・ラーイの釈放」だった。ラーイはインド解放闘争を主導していた「インド国民会議派」のメンバーで、1919年に滞在先のアメリカから帰国し、1920年に議長に選出された大物指導者のひとりである。

字幕ではこれが「1920年」のことと示されているが、この時期も重要だ(実際にはラーイが投獄されていたのは1921〜1923年)。イギリスは17世紀に東インド会社をインドに進出させて支配を強めていき、1857年に「インド大反乱」が起きると、翌58年には直接統治に切り替え「イギリス領インド帝国」(形式上はイギリス国王がインド皇帝を兼務)を成立させた。

これに対し1885年にインド国民会議派が発足し、当初は穏健な勢力としてインド人の政府への参加や権利獲得を求めていた。

1914年に第1次世界大戦が勃発すると、イギリスは戦後の自治と引き換えに戦争への協力をインド人に求めた。ところが戦争が終結するとその約束は十分に果たされず、国民会議派をはじめ解放運動側は不満を募らせていく。なお、南アフリカで活動していたマハートマ・ガンディーが帰国するのは1915年のことだ。

イギリスによる弾圧が激しかった時代

映画ではスコット・バクストンという総督とキャサリン夫人が「超悪役」として登場するが、いずれも架空の人物である。当時インド総督を務めていたのはチェルムスフォード卿。融和的な姿勢だったイギリス本国のインド担当大臣とは対照的に、強硬姿勢で臨んだことで知られている。

彼の総督在任中の1919年には、「アムリトサル虐殺事件」が起きた。この年、疑わしき者に対する予防的拘束や裁判によらない投獄を可能にする「ローラット法」がインド政庁(植民地政府)によって制定された。

これに対し、同年4月13日に抗議集会がパンジャーブ地方アムリトサルのジャリヤンワーラー・バーグという公園で開かれた。参加者は丸腰だったが植民地軍が無差別に銃撃を加え、多数の死傷者が出る事態となった(死者の数は諸説あり、数百人から1000人以上とするものもある)。事件を受けて、反英感情が急速に高まっていたのである。

こうした時代背景のもとで、物語ではラーマとビームがイギリスによる過酷な植民地支配に「力」で抗っていく様が描かれている。この2人の若者は、それぞれアッルーリ・シータラーマ・ラージュとコマラム・ビームという実在の人物だ。

いずれも今日のアーンドラ・プラデーシュ州とテランガナ州というインド南部の出身で、両州で話されるテルグ語映画ならではのチョイスと言えるだろう。

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