人気映画「RRR」で描かれた激動のインド近現代史 イギリス植民統治下での激動の独立闘争を描く
2人に共通しているのは、「アーディヴァーシー(Adivasi)」と呼ばれる部族民のリーダーだった点だ(「部族(tribe)」という用語を差別的とする見方もあるが、インドでは今日でも「指定部族(Scheduled Tribe)」という分類があるなど、エスニックグループを指す言葉として用いられているので、本稿でもこれに倣うことにする)。ただラーマ自身は部族民ではなく、ヒンドゥー教のクシャトリヤ(武人)階級に属する家の出身だった。
ラーマは山地に住む部族民のリーダーとして台頭した。1882年に植民地当局が制定した「マドラス森林法」によって伝統的な農法である焼畑農業が禁止されたことで、部族民の生活は大きな打撃を受けた。
こうした不満を背景に、ラーマは1922年から「ランパ蜂起」と呼ばれる武装抵抗活動を主導し、治安当局に攻撃を加えた。ゲリラ戦術を駆使して神出鬼没の戦いを繰り広げ当局を苦しめたが、1924年に戦闘で死亡した。
なお、作中では植民地警察の武器を獲得するべく警察官として活躍する姿が描かれているが、実際のラーマは警察を含む植民地政府で仕事をしたことはない。
ビームのほうはどうだろうか。彼はゴンド族という部族のリーダーで、1928年に蜂起を開始した。ただ、反乱の対象は現地を支配していたニザーム藩王国で、イギリス植民地政府ではなかった点に留意する必要がある。闘争は10年以上にわたって展開されたが、最後は藩王国の警察当局に発見され、1940年に殺害された。
「ナートゥナートゥ」が歌われた会場
ラーマもビームもインド全体で見ると知名度は高くなかったが、地元では部族民のために身をなげうって戦った英雄なのである。なお、史実ではラーマとビームが実際に重なり合うことはなかった。作品では、この2人がもし出会っていたら……というフィクションにもとづいて物語が展開していく。
「ナートゥナートゥ」は、『RRR』を象徴する劇中歌だ。インド音楽のリズムとキレッキレのダンスは、一度見たら忘れられないインパクトがある。ユーチューブの公式チャンネルでは、動画の再生回数が1.5億回とすさまじい数に上っている。
このシーンは、イギリス側主催のダンスパーティという「完全アウェー」の場に、ビームがラーマに同行してもらって参加するところから始まる。ビームは一目惚れしたイギリス人女性ジェニーに気に入られ、パーティに招待を受けるのだが、会場が「ジムカーナー・クラブ」となっていた。「ジム(gym)」は文字通り運動をするジム、「カーナー(khana)」は食事という意味で、植民地時代の社交クラブのような場所だ。
このジムカーナ・クラブは現存しており、筆者はデリーで仕事をしていた2009年、パーティに呼ばれて行ったことがある。映画のような巨大な建物ではなく平屋建てだったが、白を基調としたコロニアル建築からは、外とは違う別世界のような雰囲気だったのをいまでも覚えている。
ラーマは自分たちを侮辱するイギリス人ジェイクに対し、「サルサでもない、フラメンコでもない、“ナートゥ”をご存じか?」と言い放つのだが、ここは日本語字幕のインパクトもあって、とくに印象的だ。そして西洋のリズムとは違う圧巻のダンスで周囲を圧倒し、最初は冷ややかな視線を送っていた白人を巻き込んでいく。
筆者はこのシーンを、貧困や停滞といったキーワードで語られがちだったインドがいまや世界第5位の経済大国に躍り出て、大きな注目を集めている今日の姿に重ね合わせていた。さらに言えば、作品終盤でラーマが遂げる「変身」も、闘いを挑むに当たり、西洋のスタイルではなくインド自身の伝統への回帰を象徴しているように感じられた。
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