信長の命令で「妻と子殺す」家康の残虐行為の真相 「当代記」など複数史料から浮かび上がる説

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では、信康は母と2人で「逆心」しようとしたのか。『松平記』(江戸時代前期に成立。徳川氏の創業を記した史料。作者不詳)には、築山殿は、家康に恨みがあり、(家康と対立する)甲斐の武田氏にも通じており、信康を唆し、謀反を勧めたと記している。

『松平記』の記述をすべて信じるわけにはいかないが、築山殿と信康がほぼ同時に殺害されていることを思えば、似たようなことがあったのではと筆者は考えている。

この時代、親子対立はよくあることだった。甲斐の武田信玄も、嫡男の義信が謀反に関与したとして廃嫡、幽閉している(義信は自害したという)。この「義信事件」の時は、義信に与したとして、処刑や追放された武田家臣も出た。今川領国への侵攻を志向する信玄に、義信(今川義元の娘を妻とする)らが反発、信玄への謀反を企てたと考えられている。

築山殿に唆された可能性も

信康の場合、謀反の動機がいまいちつかめないが、家康書状の「不覚悟」(油断して失敗を招く)という語句から、母・築山殿に唆されたということも十分ありえるのではないか。

築山殿は今川家に縁のある女性であり、家康が織田方と連携することを不快に感じていた可能性もある。『松平記』は「御母築山殿も日頃の悪逆があり、同じく自害に及ぶ」とあり、築山殿が不穏な動きをしていたことを示す。築山殿が謀反を主導し、信康がそれに引きずられ、母子の死という最悪の結果になってしまったのではないか。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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