逆転の発想で大ヒットした「ホンダ」4台の救世主 クリエイティブ・ムーバーに宿るホンダらしさ

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もちろん、それ以前のホンダには、ミニバンもSUVもなかった。正確には、軽バンの「アクティストリート」や、他車からOEM供給を受けていた「ジャズ」や「ホライゾン」はあったが、軽バンではアピール力に乏しく、他社供給モデルにホンダらしさは皆無。時代の波に乗れるモデルがなかったといったほうが、正しいかもしれない。

そんな中、逆転の発想で作り上げたクリエイティブ・ムーバーは、ホンダにとっても新しい車種のクリエイティブ(創造)であったのだ。従来と同じ手法で作れないのであれば、自分のやり方で新しいクルマを作る。まさに、新進のホンダらしいクルマたちであった。

S-MXはフルフラットシートをアピールするなど使い勝手もユニークだった(写真:本田技研工業)

そして、これらクリエイティブ・ムーバーたちは、大ヒットを記録する。オデッセイは、1995年に新車販売の年間ランキングで4位になった。ホンダの当時のベストセラーである「シビック」を上回る大ヒットだ。

また、CR-Vは1996年に7位、ステップワゴンも1997年に5位となる人気を博す。ニッチなS-MXはやや空振りに終わったが、オデッセイ/CR-V/ステップワゴンの3モデルは、今に続くホンダの屋台骨になるほどのモデルに成長する。クリエイティブ・ムーバーによりクリエイトした価値は、世間に大いに評価され、受け入れられたのだ。

しかし、販売面では大成功したクリエイティブ・ムーバーも、全面的に肯定されていたわけではない。一部のホンダファンからは、あまり歓迎されていなかった。

ホンダらしい挑戦、そして斬新さ

そもそも昭和の時代、ホンダは最後発の自動車メーカーとして“新進気鋭”の存在であった。しかも、F1やオートバイのWGP(ロードレース世界選手権)などのレースでの活躍もあり、「パワフルなエンジンを搭載し、スポーティでよく走る」というイメージが持たれていた。

1990年には和製スーパーカーである「NSX」を発売していたし、当時はアイルトン・セナを擁したホンダがF1で大活躍していた。ベストセラーのシビックは、「とにかく速い」と評判であったし、1995年には「インテグラ タイプR」も発売している。

走りを極め、象徴的な存在だったNSX タイプR(写真:本田技研工業)

そうした、“よく走るホンダ”のファンからすれば、クリエイティブ・ムーバーは決しておもしろいクルマではない。そのため「ホンダがミニバン屋に成り下がってしまった」と嘆く声もあったのだ。

しかし、手持ちの札がない中で、逆転の製品づくりで世間をあっと言わせたクリエイティブ・ムーバーは、ある意味ホンダらしい“挑戦”の、そして“斬新”なクルマであったことは間違いない。

のちにホンダの代表車種となる「フィット」や「N-BOX」だって、一連のクリエイティブ・ムーバーあってこその誕生だろう。クリエイティブ・ムーバーは、新進気鋭の実にホンダらしいシリーズだったのだ。

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1990年代のクルマはこんなにも熱かった
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鈴木 ケンイチ モータージャーナリスト 

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すずき けんいち / Kenichi Suzuki

1966年生まれ。茨城県出身。國學院大学経済学部卒業後、雑誌編集者を経て独立。レース経験あり。年間3~4回の海外モーターショー取材を実施。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。

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