なにせ、ライバルとなるマツダ「デミオ」が1996年、日産「キューブ」は1998年、トヨタ「ファンカーゴ」は1999年のデビューである。これらのヒット車の先にゆくのが、S-MXであったのだ。ターゲットを若者にしぼり、エアロパーツにローダウンというスタイルをメインに据えてきたのも、これまでにないものだった。
こうした画期的なモデルを創造できたのは、ホンダならではの事情がある。それは、「ラインナップが少なかった」というもの。
日本の自動車メーカーとして、ホンダが4輪車を作るようになったのは1960年代から。日系の自動車メーカーとしては最後発だ。そのため、軽トラックや軽自動車を皮切りに、小型車の「シビック」や「シティ」、中型の「アコード」などとラインナップを拡大してきた。
とはいえ、その内訳は乗用車ばかり。フルラインナップメーカーであった、トヨタや日産、三菱自動車に遠くおよばなかった。
ハイソカーにRV…と多様化の時代へ
一方、日本の自動車市場は1960年代の大衆化を経て、1980年代後半のバブルを迎える。このころになると、市場の成熟が進み、クルマに求められる要求が多様化していった。
トヨタ「ソアラ」や「マークII」といったハイソカー(ハイソサエティなクルマの意)が憧れの的となり、「パリ・ダカールラリー」の注目度アップに伴い、三菱「パジェロ」や日産「テラノ」などのSUV(クロカン4WD)が一躍人気モデルに。
1990年代に入るとトヨタ「エスティマ」やマツダ「MPV」、日産「セレナ」、三菱「デリカスペースギア」といったミニバンタイプのモデルも市場を賑わせた。
ところが、新参メーカーであり、コンパクトカーから参入してきたホンダは、高級セダン/クーペの「レジェンド」こそラインナップに加えていたが、1990年代初頭にSUVやミニバンの用意がなかった。そもそも、ラダーフレームや背の高いクルマを作るための生産設備もなかったのだ。
そこでのホンダの選択が、素晴らしかった。「ないのであれば、あるもので勝負しよう」とばかりに、乗用車をベースに開発し、乗用車の生産ラインで製造できるSUVとミニバンを作ってしまったのだ。それがホンダのクリエイティブ・ムーバー。まさに、逆転の発想だ。
そうしてできたのが、乗用車をベースに3列シートを実現したオデッセイ、モノコックボディでSUVに仕立てたCR-V、FFの空間効率を最大限に生かしたステップワゴン、そしてカスタム車風の箱型コンパクトカー、S-MXだったわけだ。
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