逆転の発想で大ヒットした「ホンダ」4台の救世主 クリエイティブ・ムーバーに宿るホンダらしさ

✎ 1〜 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

なにせ、ライバルとなるマツダ「デミオ」が1996年、日産「キューブ」は1998年、トヨタ「ファンカーゴ」は1999年のデビューである。これらのヒット車の先にゆくのが、S-MXであったのだ。ターゲットを若者にしぼり、エアロパーツにローダウンというスタイルをメインに据えてきたのも、これまでにないものだった。

ローダウンモデルをラインナップするなどS-MXはカスタム性を押し出した(写真:本田技研工業)

こうした画期的なモデルを創造できたのは、ホンダならではの事情がある。それは、「ラインナップが少なかった」というもの。

日本の自動車メーカーとして、ホンダが4輪車を作るようになったのは1960年代から。日系の自動車メーカーとしては最後発だ。そのため、軽トラックや軽自動車を皮切りに、小型車の「シビック」や「シティ」、中型の「アコード」などとラインナップを拡大してきた。

とはいえ、その内訳は乗用車ばかり。フルラインナップメーカーであった、トヨタや日産、三菱自動車に遠くおよばなかった。

ハイソカーにRV…と多様化の時代へ

一方、日本の自動車市場は1960年代の大衆化を経て、1980年代後半のバブルを迎える。このころになると、市場の成熟が進み、クルマに求められる要求が多様化していった。

トヨタ「ソアラ」や「マークII」といったハイソカー(ハイソサエティなクルマの意)が憧れの的となり、「パリ・ダカールラリー」の注目度アップに伴い、三菱「パジェロ」や日産「テラノ」などのSUV(クロカン4WD)が一躍人気モデルに。

三菱「パジェロ」1988年(写真:三菱自動車工業)

1990年代に入るとトヨタ「エスティマ」やマツダ「MPV」、日産「セレナ」、三菱「デリカスペースギア」といったミニバンタイプのモデルも市場を賑わせた。

ところが、新参メーカーであり、コンパクトカーから参入してきたホンダは、高級セダン/クーペの「レジェンド」こそラインナップに加えていたが、1990年代初頭にSUVやミニバンの用意がなかった。そもそも、ラダーフレームや背の高いクルマを作るための生産設備もなかったのだ。

「レジェンド」1990年(写真:本田技研工業)

そこでのホンダの選択が、素晴らしかった。「ないのであれば、あるもので勝負しよう」とばかりに、乗用車をベースに開発し、乗用車の生産ラインで製造できるSUVとミニバンを作ってしまったのだ。それがホンダのクリエイティブ・ムーバー。まさに、逆転の発想だ。

そうしてできたのが、乗用車をベースに3列シートを実現したオデッセイ、モノコックボディでSUVに仕立てたCR-V、FFの空間効率を最大限に生かしたステップワゴン、そしてカスタム車風の箱型コンパクトカー、S-MXだったわけだ。

次ページホンダ「らしい」か「らしくない」か
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事