「認知症の人」に語りかけ続けたら起きたこと 「何を言っても通じていない」という大きな誤解

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おそらく、本人もできないことが増えているのはわかってはいるはずだ。現実がどうも不透明感を増している。どうしてここに自分がいるのかわからない。だから家に帰ろうと思うのだが、どうやって戻ればいいのかわからない。ここがどこなのかも記憶が朧げだ。

手がかりを求めて歩く。それを人は徘徊と呼ぶ。不安の現れではあるだろう。なのに、落ち着かない気持ちは解消されることはなく、徘徊を禁止され、身体を拘束されて「動いてはいけません」と言われる。不安はなくならないどころかますます募る。禁止と抑制の言葉から信頼は生まれない。

目の前に対する人への見方を変えると

水平の関係が築かれるための手がかりは、ケアされる側からすれば、身近にポジティブな言動をする人がいて、「この人は私の感じている不安にちゃんと応じてくれるのではないか」という予感を抱けるところから始まるだろう。

『聞くこと、話すこと。 人が本当のことを口にするとき』(大和書房)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

だとしたら、ケアする側は目の前にいる人が能力のない、悲惨な境遇の、弱い人だとみなす観点を持っていては、無言の訴えを聞き取れないことになる。

これはケアの現場に限った話ではないが、相手の訴えを聞くことはとても大切だ。そして話を聞くうえで観点は欠かせない。「何を・どこから・どのように捉えているのか」がわからないままでは、相手の話を明確に知ることはできないからだ。

そしてもっと重要なのは、自分が見ている景色は、つねに特定のポジションに立脚しているからこそ「そのように見えてくる」ものでしかないと知っておくことだ。それを忘れると、自分のものの見方に特権を与えてしまうことになる。ひいては私にとって正しいかどうかだけが基準になってしまうからだ。

尹 雄大 インタビュアー、サッカ

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ゆんうんで

1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

公式サイト:https://nonsavoir.com/

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