「認知症の人」に語りかけ続けたら起きたこと 「何を言っても通じていない」という大きな誤解

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そこでオートフィードバックという技術を開発した。

「私が話すのではなく私の手が話す」というように、清拭の際に「肘を拭いています」「肩を洗っています」と自分の手がしていることを語る。そうすることで話す時間を引き延ばすことができる。一方的に話すことになったとしても、相手の感覚の記憶には残るはずだ。実際、閉じ込め症候群とか不動症候群の改善に効果があった。

「言葉と結びつけることができるような音楽を探そうと思ったんです。つまり歌を作るようなことです。ケアをするときに音楽に相当するものがあります。ケアをしているあいだ、ずっと何かが続いています。ケア自体が続いているし、私の手の動きが続いています。それで決めたのです。自分の手が何をしているかを言葉で表現する練習をしようと」

認知症であっても感情記憶は機能している

相手からの目立った反応はなくても、その人と関係を持とうとするには言葉が必要なのは、認知症であっても感情記憶は機能しているからだ。そこに働きかけるようなポジティブな言葉を使うのだという。それは「よくできましたね」といった肯定だけではない。ときに「腕を上げてくれませんか」といったお願いすることも含んでいる。

言葉のやりとりが難しいと思われていた人が腕を上げる様子に、普段から接していたスタッフは驚く。

「尋ねるという技術を使ったから、ちゃんと自分で腕を上げてくれたんです。『聞いてみる』というテクニックを使わなければ、『本人には理解できるんだ』ということもわからなかったわけです」

さまざまな事例や記録映像を見る中で私は「変えるとか以前の状態に戻すではなく、今ここの瞬間のあなたに注目する。それが大事だ」と言った、イヴさんの発言を思い出した。

ケアを必要とする人が、ほかの人ではなく、目の前にいるイヴさんに再び口を開いたのは、彼を信頼したからだろう。この人になら依存しても大丈夫だという安心を見出したはずだ。依存することで自律・自立した自分を取り戻せるかもしれない。そこに希望を感じるのではないか。

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