オードリーが研究していた、この「栄養の叡智」をもつ黄色い粘菌は、「モジホコリ」と呼ばれる生物だ。モジホコリはめったに姿を見せないが、ほかの粘菌や菌類と同様、世界中の林床の朽ちた木や落ち葉、土壌の中でひっそり暮らしている。モジホコリは数百万の核をもつ単細胞生物で、小さなかけらから自己再生する能力をもち、巨大なアメーバのように這い回り、独自の複雑な管の網状構造を発達させ、それらを脈動させて栄養分を全身に行き渡らせる。
触手を伸ばし、それを使って何でも好きなものをつかんで食べることができる、少々気味が悪いが魅惑的な生き物だ。
生物が「食べる」と決めるメカニズム
だが、たとえ百歩譲って、ヒヒのステラが賢明な栄養選択をしていることを認めたとしても、脳や中枢化された神経系はおろか、器官も手足さえもたない単細胞生物が、どうやってこれほど複雑な食餌の選択を行い、実行に移すことができるのだろう?
私たちもこの謎に困惑し、専門家の意見を仰ぐことにした。
ジョン・タイラー=ボナー教授は、チーク材のベンチの上で静かに燃えている、むき出しの青いブンゼンバーナーでコーヒーを淹れ、実験用ビーカーに注いでスティーヴ(スティーヴンの通称)に勧めてくれた。
スティーヴが粘菌の生態の第一人者であるジョンと、オードリーの研究結果を議論していたこの場所は、ジョンのオフィスである──ジョンがプリンストン大学生態学・進化生物学部で教え始めた1947年以来一度も改装されていない、時間が止まってしまったかのような空間だ。
ジョンは粘菌研究の草分け的存在で、その研究は鳥群や魚群、人の群れ、グローバル企業といった、分散した主体間の複雑な意思決定に関する研究の根幹となっている。
ジョンの説明によると、粘菌の各部が周囲の栄養環境を感知し、それに応じて反応する。その結果粘菌の塊全体が、まるで意識をもつ生物であるかのように行動し、最適な食料源──良好な健康を保障するバランスの取れた食餌──を探し当て、その目的にそぐわないものは退けるのだという。
粘菌は、意識をもった生物である人間よりも優れた栄養バランスを実現しているのかもしれない。
生物は何を食べるべきかをどうやって知るのだろう?
この謎に答えることができれば、生命そのものに関するきわめて重要で、おそらく有益な知識を得られるだろう。そしてそれは昆虫だけでなく、人間にとっても重要な知識になるはずだ。
(次回は6月9日配信予定)
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