セブンの礎築いた伊藤雅俊氏がかつて語った本音 「世襲」「企業価値」「人材育成」の考えをひもとく
伊藤氏は、ダイエー創業者の中内功氏(2005年9月逝去)や、ジャスコを巨大流通グループに育て上げたイオン名誉会長相談役の岡田卓也氏らとともに、流通業界のカリスマ経営者として一時代を築いた。
3社のように総合スーパー(GMS)を志向しなかったものの、食品スーパーとして売上高日本一になった会社としては、ライフコーポレーションがある。その創業者・清水信次氏(2022年10月逝去)は、中内氏亡き後、伊藤氏、岡田氏とともに「三人会」として定期的に懇談していた。
1924年4月生まれの伊藤氏は、中内氏(1922年8月生まれ)、岡田氏(1925年9月生まれ)、清水氏(1926年4月生まれ)と比較されることが多い。
いずれも、第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後を生き抜いた同世代である。戦後、焼け野原から立ち上がり、スーパーマーケットの勃興という流通革命を起こした「戦友」でもあった。切磋琢磨する好敵手でありながら、一個人としては、お互い親しみを感じていたようである。
伊藤氏は岡田氏、清水氏と共に中内氏が設立した流通科学大学を運営する学校法人中内学園の理事、名誉理事を務めていた。中内氏、岡田氏、清水氏とも、伊藤氏と同様に「知的商人」であった。4人の「知的商人」は、スーパーという流通の新たな戦場に身を投じ、「大将」として流通革命の最前線を駆け抜けた。
知識を知識として運用し研究するのが研究者であり、情報をわかりやすく伝えるのがジャーナリストの仕事だが、経営者は知識や情報だけを提供していては務まらない。複雑系の条件、理論どおりにはいかない「例外」に振り回されるのが経営者の常である。
「お金の物差し」で見えたこと
経営者を取り巻く環境は日を追って変わるものだが、インターネットが普及して以降、「短期間における激変」を目の当たりにするようになった。ChatGPTの出現をはじめとするAI(人工知能)の進化・浸透は、その象徴と言えよう。
もう少し長いスパンで見ても、株主重視経営の動きに、旧来型のコーポレートガバナンスでは対応できなくなってきた。アクティビストの台頭がその一端を物語っている。その善し悪しについては、賛否両論が渦巻いているが、上場企業の経営者はこの現実を避けて通れない。
伊藤氏は、東京下町(足立区北千住)で洋品店・羊華堂を切り盛りしていたころから持ち続けている「商人の心(精神)」と市場経済化、グローバル化への対応という、下手をすれば二律背反する思いを共存させようとしていたようである。
「お客様は来てくださらないもの、お取引先は売ってくださらないもの、銀行は貸してくださらないもの」。伊藤氏は母から教えられたこの言葉を大切にしていた。企業にとって最も大切なものは「お金では買えない信用」であり、「信用を得るためには、まじめで誠実に働かないといけない」と考えていた。
伊藤氏が超富裕層であったことは言うまでもない。ところが、「オフィスを移転するときも、新しい調度品を購入するようなことはせずに、すべて旧オフィスから運び込みました。この部屋に置かれていた品々も20年、30年使い込んだものです」と語るなど、金銭感覚は堅実だった。この点でも、ドラッカー氏と価値観が同じだった。
一方、伊藤氏は、環境の変化を自然な流れとして受け入れ、うまく対応しようとしていた。この思考に「知的商人」の「知的」な部分が感じられる。商人の心と合理的知性の両方を大切にしていたのだ。まさに、渋沢栄一氏が著書『論語と算盤』で強調した「利潤と道徳の調和」である。
1980年前後にスーパーは冬の時代を迎える。「その頃、流通業界でROE(自己資本利益率)を念頭に置いて経営している企業は、ほとんどなかった」が、伊藤氏は「算盤」をはじくうえで早くからROEを重視していた。そのきっかけとなったのが第一次オイルショック(1973年10月~74年8月)だった。
「第一次オイルショックで経営が厳しくなったときに、三井銀行(現・三井住友銀行)さんが、私どもの将来性を見込んで巨額融資を実施してくださいました。それ以来、ROEを重視しています」
ROE重視の経営を行うようになり、「お金の物差しで株式市場を見ると、企業価値がわかるようになりました」と自身の変化に気づき、「(2010年当時の)日本では、そういう見方をする経営者が少ない」と見ていた。
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