セブンの礎築いた伊藤雅俊氏がかつて語った本音 「世襲」「企業価値」「人材育成」の考えをひもとく

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現在、株主重視経営が当たり前のように言われ、CFO(最高財務責任者)経験者がCEO(最高経営責任者)の最有力候補になっている時代だ。現実の変化を見通していた伊藤氏の先見性はすばらしかったが、今となっては、アクティビストに翻弄され、あらたな苦労も増えているようだ。

「金、物、人」と優先順位が変わった

もっとも、伊藤氏は株主重視経営を全面的に肯定していたわけではない。自身は「株を全然やらない」。ただ、「株式市場を見ていると、世の中の傾向がわかるだけでなく、問題点を発見できる」と確信していた。「バブル経済崩壊前、実体経済とまったく合っていない株価を見て、何か変だなと感じた」のだった。

株主重視経営、経営の市場経済化で、もう一つの問題点として懸念していたのが、報酬における労使間格差の拡大と短期的視点に基づく経営である。

「アメリカでは、ストックオプション導入により、賃金格差がものすごく拡大しています。日本企業でも1億円以上の報酬をもらっている社長さんが出てきました。新興企業の経営者の中には、月給の他に配当を得ている人がいます。
 トップが5億円ももらっていると知ったら、従業員は意欲をなくし働かなくなりますよ。日本でもアメリカと同じように、経営者が短期的な物差しで見るようになってきていますから、一発勝負の人が増えるのではないですか。その結果、すぐに人員削減が行われるようになるでしょう」

伊藤氏は株式市場を注視し、ROE重視経営の重要性を訴える一方で、人間第一主義を一貫して主張していた。

「経営は、『人、物、金』と言われますが、私は人間が一番大事だと思っています。ところが、今や、『金、物、人』と優先順位が変わってしまいました。いや、『人』を消している」

「面倒見がいい」は甘やかし

人間第一主義であったがゆえに人材育成においては「自助努力」を強調していた。

かつての大学は放任主義だったが、平成に入ってから大学が増え大学間の競争が激化、大衆化(さらにはユニバーサル化)したこともあり、「面倒見がいい」を売りにする大学が散見されるようになってきた。このような大学教育について伊藤氏に意見を求めると、全面的に反対していた。

「面倒見がいい、なんて甘やかしだね。高度経済成長期はフォローしましたが、これからは、どんどん振り落としていく時代です。会社が大学のように『育てましょう』というような考え方をしていたら、立ち行かなくなりますよ。むしろ、そんな考えは、実社会で通用しないということを教えてなくてはなりません」

面倒を見なくても育つ逞しい人材を伊藤氏は重用した。そのロールモデルとなる人を生え抜き社員からではなく、転職者から見つけた。

それが誰を指すのか書かなくてもおわかりだろう。伊藤氏に請われ、31歳のとき、トーハン(書店取次)からイトーヨー堂に転職し、1970年代にセブン‐イレブンを立ち上げた鈴木敏文氏である。

若かりしころの鈴木敏文氏
鈴木敏文氏(1991年撮影)は1963年に中途入社、日本におけるセブン‐イレブンの生みの親となる(撮影:東洋経済写真部)

伊藤氏は、財界、業界活動でも表に出ず、鈴木氏に任せた。伊藤氏は鈴木氏の「自助努力」を見守り続けるスタンスを通した。伊藤氏は熟考・慎重派、鈴木氏は提案型の行動派、と二人の性格は違っていたが、伊藤氏は堂々と意見を言ってくる人は仕事ができる人と考え、指示待ちのイエスマンを嫌っていた。だからこそ、鈴木氏を高く評価したのだろう。

ところが、二人の関係は「確執」「緊張関係」として描かれることが少なくなかった。その極めつきが、鈴木氏が会長兼CEOを自ら退任するに至った一件である。

2016年4月、鈴木氏は井阪隆一セブン‐イレブン・ジャパン社長(現セブン&アイ社長)の更迭案を発議。だが、取締役会で否決され、それが鈴木氏退任の引き金となった。

取締役会で否決された背景には、「伊藤氏の意向があったから」「社外取締役の意見を尊重した」など、さまざまな声が聞かれるが、真実は闇の中にある。まさに「秘め事」なのだ。

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