元商社マンが「ゲストハウス開業」で見つけた天職 理不尽に苦しんだ会社員から一転「掴んだ幸せ」

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城下さんが2回の転職を経て14年間働いた商社を辞めたのは44歳のとき。「給与面では安定していましたが、理不尽なことでストレスがたまり、長く働けないと思いました」。

職場を変える選択肢もあったが「そもそも組織で働くこと自体が自分には向いていないのではないか、転職してもまた同じことを繰り返すのではないか」。そう考えると「かなうなら早期にリタイアしてしまいたい」。

投資の利益などで働かずに暮らすFIREも視野に入れたが、妻と幼い子どもがいる身としては心許なかった。そのため何か起業できる道はないか、ずっと考え続けていたのだった。

「これだ!」とピンときた瞬間

そのようなとき、テレビの情報番組で「ゲストハウスの開業が増えている」という話題を見て、「おお、これだ」とピンときた。

城下さんは大学生時代から旅好きで、よく海外のゲストハウスにも泊まっていた。旅費を安くあげるためだったが、共有スペースに宿泊者同士で集まって雑談したり、一緒に食事や観光へ行ったりするのが醍醐味だった。「楽しい思い出がたくさんあって、ゲストハウスへの思い入れは強かったですね」。

ゲストハウスはもともと海外で、バックパッカー向けの安宿として普及していた。日本では旅館業法の「簡易宿所」として許可を得る必要があり、2000年代初めごろから開業する人が増えたと言われる。

ゲストハウスに明確な定義はないが、食事や談笑のための共用スペースがあり、宿泊者同士で交流を楽しめるのが特徴。トイレや浴室、洗面は基本的に共同で、相部屋もよく見られる。素泊まりのみの施設が多いが、食事を提供するところもある。

一方、個人の住宅に宿泊する「民泊」は住宅宿泊事業法(民泊新法)の届け出をした施設を指し、営業日数が年間180日までに制限されている点で違いがある。

テレビ番組からヒントを得た城下さんはその後、リサーチを重ね、会社を退職後、ゲストハウスを開業すると決意。その夢を妻にも伝え、理解してもらった。働きながら開業準備を進める選択もあったが、当時の勤務地は愛媛県。開業するなら、夫婦ともに生まれ育った関西地方がいいと考えていた。

立地は重要なので土地探しには本腰を入れて取り組みたかったが、休日に関西へ通うには労力がかかりすぎる。そのため思い切って会社を辞め、関西へ戻る決断をした。

まだ開業する場所すら見つかっていないのに、退職するには不安もあった。「でもそうしないと、どこかで諦めてしまうのではないかと思ったんです。中途半端に時間を延ばしたら、いつまでも実現できない気がして」。

ゲストハウス開業を目指してつけていた「起業ノート」(写真:城下智久さん提供)

会社には退職の意思を伝えたが、実際に辞められるまでには5カ月かかった。その間に四国にあるいろいろなゲストハウスを家族でめぐり、オーナーさんたちからリアルな体験談を聞いていった。

せっかく教えてもらうのだから、と見聞きしたことは「起業ノート」に書き留めた。具体的なノウハウは有益だったし、オーナーさんたちが楽しそうに仕事をしている様子が印象に残った。「好きなことを仕事にする」、それが何よりの働く原動力になるのだと実感し、モチベーションが上がった。

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