中国からベトナムへ、絶景の「昆河線」数奇な過去 フランスが建設、21世紀初頭まで国際列車も
かつて香港に在住していた筆者は、出張や観光で雲南省を訪れた際、何度か昆河線の列車に乗った。1999年に昆明市内で開催された世界園芸博覧会を視察した際には、宜良という駅から昆明北駅までの約70kmに乗車した。
中国の列車に乗り慣れていると、メーターゲージの車両はとても小ぶりに見える。しかし、よく考えてみると日本の在来線の軌間より60mmほど狭いだけだ。宜良駅では列車発車まで1時間以上の空きがあったので、ディーゼル機関車が並ぶ車務段(機関区)を見せてもらうことができた。
当時、中国の鉄道はすでに25G型と呼ばれるエアコン付きの客車が主力だったが、時速30km台のスピードで走る昆河線のローカル列車は旧型客車を連ねており、立て付けのよくない2枚重ねの窓を開け放って風を浴びる爽快感が嬉しかった。また、線路は20世紀初頭の技術で建設されただけに、ところどころに短いトンネルや橋があるものの長大な高架は全くない。昆明近くで見え隠れする当時の鉄道新線「南昆線」の高架線路がやけに現代的に見えたことが印象深かった。
昆明に向かう途中の交換駅では、週に2度しか走っていないベトナム側の国際列車用客車を目にした。地味な緑色で塗られた中国車両とは趣きが異なり、赤色で塗られた数両の増結車を見て、旅情が大いに掻き立てられた。
昆明―河口―ハノイ間を踏破
1998年春には、都合3日がかりで「滇越鉄道」の大半に乗る――という計画を立てた。昆明から河口まで昆河線全線を踏破し、河口からは徒歩でベトナム側へと越境。その後、国境駅のラオカイから夜行列車でハノイを目指した。
この当時の中国・ベトナム国境は、双方の国で高く売れる物資を運んで日銭を稼ぐ、いわゆる「担ぎ屋さん」の出入りで大いに賑わう一方、両国民の観光目的での出入りは許可を取るのが難しい時代だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら