中国からベトナムへ、絶景の「昆河線」数奇な過去 フランスが建設、21世紀初頭まで国際列車も
中国西南部の辺境に、JR在来線などの線路幅1067mmよりも狭い軌間1mの「メーターゲージ」と呼ばれる狭軌鉄道がある。20世紀初頭、インドシナ半島を支配したフランスの手によって、ベトナムと中国を結ぶ「滇越鉄道」として敷設されたこの鉄道は、中華人民共和国の建国後は「昆河線」と呼ばれ、長きにわたり細身で小ぶりな客車がのんびりと走っていた。
かつては中国・雲南省の昆明とベトナムの首都・ハノイを結ぶ国際旅客列車も運行されていた昆河線。1990年代末に乗車した際の記録を交え、歴史的なメーターゲージ鉄道の過去を紐解いてみたい。
工事中の殉職者は1万人以上
欧米列強が新天地を求めてアジア各国に開国を迫っていた頃、フランスは1858年に現在のベトナム、ラオス、カンボジアがあるインドシナ半島に進出した。ちなみに日本への黒船来航は1853年のことだ。
ベトナム領有を巡り、フランスと清国の間で1884年8月から1885年4月にかけて起きた清仏戦争の結果、フランスが辛くも勝利。講和条約として結ばれた天津条約(中法会訂越南条約ともいう)により、フランスはベトナムの領有権をはじめ、中国西南地方との貿易権、そしてベトナム領での鉄道建設権を得た。
フランスはさらに、ハノイから清国国境まで敷設されていた鉄道の雲南省内への延伸許可を得る。この許可は、清国との戦いで日本が得た遼東半島の権益について、フランス、ドイツ、ロシアの三国が日本に圧力をかけて放棄させた「三国干渉」の褒賞としてフランスが得たものだった。こうした経緯の結果、1903年にハノイの外港・ハイフォンと昆明間を結ぶ「滇越鉄道」の建設プランが策定された。
滇越鉄道はハイフォン―ハノイ―河口―昆明間の総距離855km。うち、ベトナム側が389km、雲南省側が466kmからなる。港のあるハイフォンと最高地点との高度差は1807m、橋梁とトンネルは合わせて3422カ所にのぼる。
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