25年で激変した「香港」中国返還前の乗り物の姿 地下鉄は発展途上、2階建てバスや船が大活躍

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香港2階建て路面電車
香港名物の2階建て路面電車。返還前も今もその姿はあまり変わらない(筆者撮影)
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かつてイギリスの植民地だった香港は今年7月1日、1997年の中国返還から25年の節目を迎えた。おりしもコロナ禍の規制もあり、各国からのビジネスパーソンや観光客が行き交うといったかつての賑わいとは無縁の25周年記念日となってしまった。

返還後の25年間、香港の人口は増え続ける一方、山がちで市街地の面積が狭いという特殊事情もあり、公共交通機関の役割はより重要となった。逆に言えば、返還以前の香港の交通ネットワークは貧弱で、地上ではバスが目抜き通りで渋滞し、地下鉄はラッシュアワーになると東京都心より激しい混雑になるなど、市民の期待を満たす水準とは程遠いものだった。

筆者は1991年から2006年まで香港に在住。その間、香港のユニークな交通機関を利用し、中国本土へも出入りを繰り返していた。返還25周年を機に、1997年以前の香港を取り巻く交通事情はどのようなものだったのか、改めて振り返ってみた。

鉄道の充実は返還後

香港の鉄道ネットワークは現在、香港鉄路(MTR)と呼ばれる事業者が地下鉄、郊外路線と香港北部のニュータウンを走る軽便鉄道(LRT)を運営している。1997年時点では地下鉄は香港地鉄(MTR)、郊外路線とLRTは九廣鐡路(KCR)という会社がそれぞれ運営していた。この2社は返還から10年後の2007年12月、「MTRによるKCR路線運営権の取得」という名目でMTRがKCRの事業を吸収した。

KCRの社名である「九廣」は、九が九龍、廣は広東省の広州を指す。鉄道の建設は香港を統治していた英国が手がけ、香港―広州間を結ぶ直通列車が1911年に走り始めた。その後、中国建国により広東省(中国本土)と香港との間に”国境”ができたことから、香港側の鉄道事業体としてKCRが生まれた。

KCR電車改造前
1982年のKCR電化時に投入された英国メトロキャメル製電車。複数回の改装を経て今年5月に全編成が退役した=1985年3月(筆者撮影)

長らく非電化だったKCR(九龍駅=のちのホンハム駅―羅湖駅間)は1982年に電化され、香港内の通勤・通学の足として電車が走るようになった。一方、香港と広州をつなぐ客車列車「直通車」も日に数本、運行されてきた。

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