“知の巨人”と言われるピーター・ドラッカーはこう語っている。「不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする」と。
そう、競技未経験の先生が「大きな夢」を抱く生徒たちに、中途半端な知識で、中途半端な指導をすべきではない(方向性を間違えた無意味なスパルタ指導ほど、生徒たちを不幸にすることはない)。それよりも、指導をしたいと思っている元経験者に、指導の一部を託すほうが絶対にいい。
たとえば、3000円という手当でも、あまり乗り気でない部活指導に携わる先生は、「やってられない」という気持ちになるかもしれない。だが、普段は別の仕事や主婦として過ごす人たちにとっては、得意なことを教えられて、しかも、生徒には感謝される。仮に1回3000円でも月に4回の指導で1万2000円。1年で14万4000円。好きなことで得られる対価としては悪くはない。
・生徒は質の高い指導が受けたい(はず)
・元選手は自分の得意なことを教えたい(はず)
と、3者の思惑が一致する。誰もが利を得る方法なのに、こんなすてきな制度が進まないことが残念でならない。生徒の事故など責任を外部スタッフが負うことができるのか、など問題はあるだろう。しかし、だ。何を優先すべきなのか。答えはハッキリしている。
中学の指導は「勝つ」ことより「将来性」を優先すべき
幼少の頃から取り組まなければ成功するのが難しい競技もあるが、学校で行う部活動の大半については、本格的なトレーニングは高校からで十分だと筆者は感じている。なぜなら、中学時代の成績は、シニアでの活躍を考えた場合、大きなアドバンテージにはならないからだ。
1974年から開催されている全日本中学校陸上競技選手権大会。男子の長距離種目である1500m、3000mを制した選手で、オリンピックに出場した選手はいない。それどころか、高校で活躍できなかった選手もいる。長距離でシニアの日本代表になったのは前田和浩(九電工)ぐらいで、実は中学で「1番」になる意味はあまりない。
それよりも、高校でも同じ競技をやりたい、という“明るい未来”を与えることができる指導が必要だ。チームを強くするのではなく、生徒たちの可能性を広げる指導。自分に才能があるのか。この競技にどんな魅力があるのか。それを教えることが、中学校に求められる指導だと思う。
特にメジャーではない競技こそ、それを選んだ選手たちに“夢”の可能性を示すべきだろう。先生目線も大切だが、主役は生徒。2020年東京五輪の次世代を担う“金の卵”たちを大切にしなければ、日本のスポーツに未来はない。クラブチームが盛んになっているとはいえ、いまだにスポーツの主流は学校の部活動だ。生徒たちが満足できる部活動「指導」を、学校側には整えていただきたい。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら