ネットどころか塾も満足になかった時代。えぐざまさんは自身の学力からすると物足りない、偏差値55の高校に進学します。
「大学受験の予備校がない環境でした。高校の進学実績を見ても一流大学に行けないだろうと思っていたので、まったく受験勉強せずに父親の仇であるカラオケに行って遊んでいました」
高校3年生ときの河合塾の偏差値は45。第1志望は東京理科大学の経営学部でしたが、落ちてしまいます。「偏差値的に10以上差があったから受からないのはわかっていた」と語る彼は、滑り止めの大学にも受からずに現役の受験を終えます。
人生を蝕んだ学歴コンプレックス
えぐざまさんは世帯年収300万円程度でお金がなく、田舎で予備校にも通えない自分の環境をなんとかして変えたいと思い、「東京に戻りたい」という一心で自宅浪人を決断します。その念願叶って、偏差値も52に上がり、日東駒専(日本、東洋、駒沢、専修)レベルの大学に2校合格しました。
1浪で念願であった東京に戻ってきたえぐざまさん。しかし、この結果は彼にとっては納得がいきませんでした。
「浪人をしたのに、自分がここに入れば高学歴だと思っていた、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)に受からなかったという自責の念」と、「幼少期に天才だった自分の今の体たらく」が強いコンプレックスとして残ってしまったそうです。
その結果、彼は大学に進学してからも毎年大学受験をする決断をしました。
「とにかくずっと受験をし続けていました。大学在学中に早稲田大学のAO入試が始まったことから、それをはじめとして毎年いろんな大学の一般試験や編入学試験、推薦入試を受け続けていました。2〜5浪まで毎年、受験・学歴研究をしながら過去問を少しだけ見て受験に臨んでいましたね」
早稲田は政治経済学部や第二文学部などを毎年受験していたえぐざまさん。「惜しいところまで行った」という彼は、倍率200倍の大手教育企業に内定をもらい、今に至るまで20年間、ずっと勤め続けています。
普通の人なら1浪で大学に入り、就職氷河期をくぐり抜けて優良企業に就職し、これで人生も一段落……と思われるかもしれませんが、彼の受験はここからが本番でした。日東駒専レベルの大学を卒業して就職してからも、彼は編入学試験を受け続けたのです。
「6浪目に突入しました。就職してからは、しばらく一般受験はできなくなりましたが、それでも毎年早稲田の編入学試験は受けていました。9浪目からは大学院の受験もするようになりましたね」
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