横浜を走る「高島線」、港の発展支えた貨物ルート かつては埠頭に支線網、今もたどれるその痕跡
ここから桜木町駅は目と鼻の先だ。新港埠頭へ向かう税関線(1987年に廃止)の廃線跡は、現在「汽車道」として整備されており、多くの人々が行き交っている。赤レンガパーク内には、かつて海外渡航者向けの旅客列車「ボート・トレイン」(東京駅―横浜港駅間)が発着した旧横浜港駅のプラットホームが復元・保存されており、人々の憩いの場になっている。
新港埠頭から山下埠頭方面へは、山下臨港線廃線跡の高架構造を生かした「山下臨港線プロムナード」が遊歩道として整備されているが、山下公園内の高架は2000年までに撤去されたため、高架は公園手前で途切れている。臨港線の痕跡がどこかに残っていないか探してみると、山下公園の東側、埠頭への入り口部分の道路を横切るように、レールがわずかに残っている。
首都圏で最後までSLが走った高島線
最後に、少し離れているが本牧市民公園へも足を運んでみる。公園の一角に蒸気機関車D51形(デゴイチ)516号車が保存されており、その説明板には「516号車は、昭和16(1941)年、当時の鉄道省大宮工場で製造され大宮機関区に配置されました。東北本線などで活躍し、その後昭和44(1969)年、新鶴見機関区に配置され、昭和45(1970)年11月28日に廃車となりました」とある。
この説明文だけだとわからないが、この516号車も高島線と関係がある。横浜の鉄道・市電研究で知られる故・長谷川弘和氏のレポート(「横浜港の貨物線ものがたり」『鉄道ピクトリアル』1997年3月掲載)によれば、516号車は「臨港貨物線で活躍していた」という。おそらく、新鶴見機関区配置後、1970年10月に高島線が電化され、蒸気機関車の運用が廃止されるまで貨物列車を引いていたのであろう。
高島線は首都圏で最後まで蒸気機関車が運転されていた路線だが、その電化により活躍の場を失い、11月に廃車になったものと推測される。なお、516号車の脇には、横浜機関区で実際に使われていた転車台(ターンテーブル)も保存されている。
さて、今回は高島線を中心に横浜の貨物線について見てきた。鉄道による貨物輸送は1970年頃をピークに、その後は斜陽化した。しかし、近年CO2排出量削減に向けた動きや、トラックドライバーの担い手不足、またトラックドライバーの時間外労働の上限時間が設けられる「2024年問題」などの観点から、モーダルシフトの機運が高まっている。その意味においても、今年は大きな貨物鉄道輸送150年の節目になりそうだ。
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