横浜を走る「高島線」、港の発展支えた貨物ルート かつては埠頭に支線網、今もたどれるその痕跡
神奈川水再生センターの先の千鳥橋踏切で現在の高島線の線路を渡ると、左後方から別の線路が迫ってくる。これがかつての瑞穂線(1958年に廃止)だ。また、正面に目を向けると、瑞穂埠頭へと続く瑞穂橋(道路橋)の大きなアーチ構造が見える。この瑞穂橋に並行して架かっている赤錆びた橋が、日本初の溶接鉄道橋として知られ、「かながわの橋100選」にも選ばれている瑞穂橋梁(鉄道橋)だ。橋を渡った先は米軍施設なので、立ち入ることができない。
実は、瑞穂橋梁および付近の鉄道側線敷地(瑞穂線廃線跡)は、2021年3月末をもって日本へ返還された。返還時の窓口となった防衛省南関東防衛局に問い合わせたところ、瑞穂橋梁は現在、財務省管理になっているという。また、同時に返還された鉄道側線敷地のうち陸側(約1200㎡)はJR貨物が地権者、埠頭側(約200㎡)は国有地になっている。
したがって、瑞穂橋梁の橋脚は陸側は民有地(JR貨物用地)上、埠頭側は国有地上に立っていることになり、「民有地に関しては構造物を撤去し、原状復帰させるのが原則」(横浜市政策局基地対策課)であるため、今後、瑞穂橋梁は解体される可能性がある。保存には国、横浜市、JR貨物の一体協議が必要となろうが、貴重な鉄道遺産をなんとか保存できないものだろうか。
高島駅の跡地一帯は公園に
瑞穂橋梁の西側の運河を渡った先には、現在の高島線の唯一の中間駅である東高島駅があるが、貨物駅なので立ち入ることはできない。
東高島駅から南西の帷子(かたびら)川を渡った先には高島水際線公園がある。付近一帯は1995年に廃止された貨物駅・高島駅の跡地だ。公園内に設置されている高島線の線路を跨ぐ歩行者用の跨線橋は、直線区間を走る貨物列車を撮影できる撮影スポットとして知られている。橋上で後ろを振り返ると、公園の先で高島線はトンネル区間に入るため、みなとみらいのビル群の中に、貨物列車が消えゆくように見えるのが印象的だ。
高島線の線路が再び地上に現われるのは、市営地下鉄の高島町駅付近。その先には「三菱ドック踏切」という名前の高島線専用の踏切がある。かつてこの付近に「ハマのドック」の名で親しまれた、三菱重工横浜造船所の正門があったのが名前の由来だ。この造船所跡地を中心に開発されたのが、みなとみらいなのである。
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