横浜を走る「高島線」、港の発展支えた貨物ルート かつては埠頭に支線網、今もたどれるその痕跡
次は、高島線の沿線を歩きながら、かつて存在した支線群がどのようなものだったのかを見ていきたい。
高島線は鶴見駅が起点だが、東海道本線と分岐するのは京浜急行電鉄の生麦駅のやや横浜寄りなので、生麦駅から歩き始める。国道15号を横浜方面に少し歩くと、キリンビールの工場付近で、頭上を高島線の高架が、さらにその上を首都高速の高架が通過する面白い景色が見られる。高島線の高架橋の桁を支える擁壁はレンガ造りで、支柱も年季が入ったレトロ調であり、かなり古い構造物であるのは一目瞭然だ。
その先の新子安駅付近で頭上を通過する産業道路(子安―守屋町線)を南へと歩を進め、恵比須運河に架かる恵比須橋から西に目を向けると、運河を渡る新興線(2010年に廃止)の線路が見て取れる。新興線は入江駅(廃駅・現在は京急バス新子安営業所)で高島線の本線と分岐した後、大きなU字を描きながら新興駅に至っていた。
現在、新興線の廃線跡の一部は緑道になっており、レール・鉄道橋など、鉄道が走っていた痕跡がわずかながら残っている場所もある。また、新興駅跡地は公園(高原基金の森)として整備されており、駅の廃止後、だいぶ時間が経っているにもかかわらず、駅跡付近の交差点名は「新興駅」、バス停名は「新興駅前」と名残をとどめている。
下水処理施設はかつての駅跡
次の目的地は旅客列車の駅でいうと東神奈川駅(京急線は京急東神奈川駅)が最寄りだ。東神奈川までは電車で移動してもいいが、歩いてみるのも面白い。路地を行くと、家々の間から小さな運河を渡りながら走り行く高島線の列車の姿を垣間見られるなど、いかにも臨海エリアらしい景色が広がっている。
東神奈川駅前から南東に向かって延びる道路の先には、戦後、米軍の接収を受け、現在も「横浜ノース・ドック」として米軍が使用している瑞穂埠頭がある。埠頭に向かう途中、左手に神奈川水再生センターという下水処理施設があるが、ここが横浜鉄道によって建設された海神奈川支線(1959年に廃止)の終点・海神奈川駅の跡地だ。ちなみに海神奈川駅は昭和初期に場所を移転した経緯があり、神奈川水再生センターは2代目駅の跡。初代の駅は、もっと海岸側にあった。
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