JR相模線、「砂利鉄」の過去に消えた支線の秘密 廃線の跡には明治以降の「歴史遺産」が残る

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1960年の相模線西寒川支線・西寒川駅(写真:高澤一昭)
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神奈川県南部の茅ケ崎駅と、東京都と境を接する相模原市の橋本駅を結ぶJR相模線は、2021年9月28日、茅ケ崎―寒川間の部分開業から100周年を迎えた。

同路線は、単線のローカル線の風情が残る路線である。沿線住民を除けば普段はなじみの薄い路線かもしれないが、11月18日に30年ぶりとなる新型車・E131系が投入されるなど、にわかに注目が集まっている。

相模線とはどのような路線なのか。1984年に廃止された相模線西寒川支線(寒川―西寒川間、1.5km)も含め、あらためてその歴史を紐解いてみたい。

開業時は「相模鉄道」だった

相模線は、1921年9月に民間鉄道の「相模鉄道」として茅ケ崎―寒川間が開通したのが始まりである。その設立趣意書には、当時、年間の参拝客が「四十七万余人」とされた大山阿夫利(あふり)神社の参詣客や、沿線一帯の穀類、繭糸、木材などの輸送に加え、相模川で採取される「砂利」の輸送をうたっている。

2021年11月に運行開始した相模線の新型車両E131系(筆者撮影)

明治末から大正の初めにかけては、「砂利の需要が喚起された」(寒川町史2『砂利の近代史』内海孝)時代であった。鉄道や道路の整備用途に加え、鉄筋コンクリート建築の登場による用材としての利用、さらに「浅野セメント」の浅野総一郎が主導し、横浜・川崎地域の臨海部を埋め立て、大規模な工業地帯を造成する動きなどの中でも大量の砂利が使われた。多摩川では一足早く、玉川電鉄(渋谷―玉川間、1907年開業)、東京砂利鉄道(国分寺―下河原間、1910年開業)などが、砂利輸送を行っていた。

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