都心直通実現の相鉄、米軍が阻んだ「幻の新線」 「JR直通」の60年前に浮上した計画の経緯
相模鉄道(相鉄)は11月30日、相鉄本線の西谷駅(横浜市保土ケ谷区)と羽沢横浜国大駅(同市神奈川区)を結ぶ2.1kmの新線「相鉄・JR直通線」を開業する。羽沢横浜国大駅とJR線をつなぐ線路も整備され、東京都心への直通運行が始まる。
2022年度下期には、羽沢横浜国大―新横浜―日吉間10.0kmを結ぶ「相鉄・東急直通線」も開業予定。このうち、羽沢横浜国大―新横浜間の4.2kmが相鉄の営業範囲になる。相鉄の営業距離は現在35.9km(貨物線を除く)だが、「相鉄・JR直通線」と「相鉄・東急直通線」が開業すれば40kmを上回る。
横浜など神奈川県の鉄道路線を運営する大手私鉄の相鉄だが、戦後しばらくは営業距離が30kmに満たない中小規模の私鉄だった。しかし60年以上前の1958年1月30日、相鉄は二俣川―杉田海岸間14.4kmと二俣川―原町田間12.3kmの地方鉄道免許(営業許可)を国に申請。これが完成していれば、営業距離は40kmどころか50kmを上回っていたはずだ。
横浜の郊外で既設路線を連絡
国立公文書館所蔵の図面によると、二俣川―杉田海岸間は相鉄本線の中間に位置する二俣川駅(横浜市旭区)から南下。現在構想されている横浜環状鉄道の二俣川―東戸塚―上大岡―根岸間と似たルートだが、杉田海岸駅は現在のJR根岸線の磯子駅付近に設けられる計画だった。二俣川―原町田間は二俣川駅から北上し、国鉄横浜線の原町田駅(現在のJR町田駅の南側)につながる。全体の所要時間は40分とされていた。
1967年発行の社史『相鉄五十年史』などによると、申請ルート沿線居住者の利便性向上のほか、既設の鉄道路線との相互連絡、根岸湾に計画された埋立地の開発促進を目的に計画したという。沿線の住宅開発を行い、根岸湾岸の工業地帯へ従業員を運ぶ通勤輸送を行おうとしていたようだ。
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