都心直通実現の相鉄、米軍が阻んだ「幻の新線」 「JR直通」の60年前に浮上した計画の経緯
結局、申請から10年近く過ぎた1967年2月16日、相鉄は杉田海岸―二俣川―原町田間の申請を取り下げた。その一方で、二俣川―平塚間の25.3km(申請時)を結ぶ新線の営業許可を申請。これが現在の相鉄いずみ野線だ。
この申請に先立つ1966年7月、運輸大臣の諮問機関だった都市交通審議会は、横浜エリアの鉄道整備基本計画(都交審9号答申)を策定した。この答申は東海道線の混雑緩和などを目的に、茅ヶ崎から相鉄線のエリアを通って東京都心に向かう「横浜6号線」を検討路線として盛り込んでいる。東海道線との連絡地点が茅ヶ崎の1つ隣の平塚に変わっているものの、横浜6号線の西側の区間は、相鉄の新しい申請路線のルートに近い。
いずみ野線を「代わり」に建設
相鉄は着工のメドが立たない杉田海岸―二俣川―原町田間を諦め、その「代わり」として国の審議会が定めた基本計画に準じる新線を建設することにしたといえるだろう。ちなみに横浜6号線の東側区間は、のちに相鉄線と東急線を結ぶ「神奈川東部方面線」の構想に変化。これが「相鉄・JR直通線」「相鉄・東急直通線」の原型になっている。
相鉄いずみ野線は1976年4月に二俣川―いずみ野間が開業したが、沿線住民による反対運動や工事費の高騰などもあり、工事は難航。1999年3月までに小田急江ノ島線の湘南台駅まで開業したものの、残る湘南台―平塚間は着工のメドが立っておらず、いまは事実上の凍結状態だ。
近年は東海道新幹線の新駅整備が構想されているJR相模線の倉見駅への延伸が検討されるようになり、平塚への延伸計画はフェードアウトした感がある。いずれ杉田海岸―二俣川―原町田間の計画と同様、正式に中止されて幻の路線と化すのだろうか。
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