「ペンギン池落下」日テレ謝罪がスッキリしない訳 危機対応より感情を優先させた謝罪は失敗する

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著名人や企業の謝罪会見などで、謝罪の場のはずなのに「言い訳」に聞こえてしまい、事態が悪化してしまうパターンはよくあります。一般的に考えて、言い訳は悪手だとわかるのに、なぜ人は言い訳をしてしまうのでしょうか。

ほとんどの場合、本心では自分は悪くないと思っており、自らの正当性を主張したいという気持ちが先行してしまっていることが原因です。自分が間違っていない以上、本音では謝りたくない。このような心情があるときに、人は言い訳をしてしまいます。今回の加藤さんの謝罪は、確かに経緯説明という言い訳に聞こえました。

では「言い訳」はだめなのでしょうか?

私は謝罪というものを、高度なコミュニケーション技術としてとらえています。それは倫理観や人間性の問題ではなく、技術です。

つまり謝罪のための謝罪ではなく、トラブルに陥ったビジネスをどうすれば救えるか、どうすれば被害を最小限に抑えられるかという「BCP(事業継続計画)」の視点での危機対応が謝罪だと考えています。

言い訳だろうと何だろうと、それによって危機的状況が少しでも回復できるのなら、躊躇なく薦めます。ただ、たくさんの危機的状況や謝罪会見例などをみて、言い訳が機能したことはまずありません。

つまり、謝罪において言い訳が悪手だといわれるのは、効果がないからなのです。たとえ批判の内容が言いがかりや不本意なものだったとしても、そこへの対抗や防御は、事態好転には無意味です。

謝罪の目的を明確化できず、感情に突き動かされたとき、人は言い訳をしてしまいます。コンプライアンスは絶対的な優先順位を持ちますが、そうではない「人として」というような観点や価値観は、BCPにおいてほぼ意味がないと考えています。

「お笑い」としてもお粗末な内容だった

今回の件では、実際にペンギンの池に落ちたのは春日さんでした。やはり春日さんにも批判の矛先は向いていますが、彼はお笑いのお約束としきたりに従っただけという観点から、春日さんへの批判より、それを実際に促したと見える加藤さんに責任を求める声が多いようです。

お笑い界のしきたりとして、先輩であり、キー局の帯放送番組で総合司会を長年勤める加藤さんの再三の“フリ”(今回の場合、「池に落ちるな」は「落ちろ」という合図)に、後輩の春日さんは最初は抵抗していたようにも見えます。しかし、お笑い芸人として自分が求められているリアクションを考えると、番組のメインMCの指示にそれ以上抵抗するのは、番組構成的にもまずいという判断があって当然と思います。

ペンギン
オードリーの春日さんが餌やりをした、那須どうぶつ王国のペンギンたち(画像は公式ホームページより)
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