エリート官僚「過度な忖度」に走った2つの決定打 アベノミクス導入も経済成長を妨げた日本の失敗

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中央官庁の再編(大蔵省の財務省と金融庁への分離など)、内閣機能の強化、行政組織のスリム化などが、2001(平成13)年1月から始まった。そしてもう1つの転機は、2009年の民主党・鳩山由紀夫内閣の発足である。鳩山首相は「官僚から、政治家主導の政治への転換」を訴えた。

極めつけは、2012(平成24)年の第2次安倍内閣の誕生である。森友学園や加計学園の問題で、苦しい答弁をせざるをえない財務官僚の姿が幾度となくテレビで放映された。「忖度」という言葉が、2017年の流行語にもなるほど世間を騒がせた。

もちろん、「忖度」は官界だけの問題ではなく、民間企業の世界にも存在する。問題なのは、「公僕である官僚による過度の忖度」だ。忖度が過度になると、公文書改ざんのように到底許されざる行為にまで走ってしまう。エリート官僚は、政府高官や政府の政策への忖度と官僚村の掟で、がんじがらめになっているのが現実だ。それは、出世を追い求める官僚の性といえるのかもしれない。

「過度の忖度」を生んだ歪んだ土壌

このような「過度の忖度」が行われるようになった理由は、2つ考えられる。

1つ目は、長期政権の弊害である。1人の人間が総理大臣のような絶対権力者の座に長期間にわたって座り続けるとさまざまな弊害が出ることは、歴史が証明している。2006年の第1次安倍内閣から民主党の野田佳彦首相の辞任までの6年余りの間には、6人の首相がほぼ1年ごとに交代したので、幹部官僚も首相に対して忖度する暇もなかった。そのような歴史の教訓から、アメリカなどでは大統領の任期は2期までという掟になっている。

2つ目は、官僚幹部の人事権が内閣人事局に一元化されたことである。

内閣人事局構想は、橋本龍太郎内閣の省庁再編(2001年)以来、政治家が挑んでは頓挫してきた。それを「政治主導」を掲げた安倍政権が、2014年に実現し、官邸に内閣人事局を設置した。また、国家公務員法の大改正によって公務員の人事制度は大きく変わり、人事権は内閣人事局に集約された。それにより、内閣は全省庁の審議官以上の幹部600人の人事権を握ることになったのだ。

次ページ「忖度」には、官僚の人事権の所在が大きくかかわっている
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