「厳しいことは覚悟していた」と語る布施川さんは、高校3年生の部活が終わった5~6月から受験モードに切り替えて朝10時から20時まで10時間勉強をする日々を送ります。しかし、勉強を続けるうちに現状と目指す到達地点との乖離に気づいたと言います。
「自分は校内模試の偏差値で109をとったこともありました。それでも受験勉強となると、まったく通用せず、基礎的な部分すら身についていない現実に直面しました」
秋になると、布施川家の周辺状況も目まぐるしく変化します。父親が経営不振に陥った会社を退職して独立し、同時期に母親の乳がんも発覚したのです。
ステージが3~4と進んでいたため、布施川さんは創業当初で経営が苦しく、夜中に日雇いや倉庫の整理などのアルバイトで食いつないでいた父親の代わりに、母親の世話に時間を割かざるをえなくなりました。
「ただでさえやることが多すぎて時間が足りない中で、秋からは母の看病をしたり晩ごはんの支度をしたりしていたので、ひどい時は2時間くらいしか勉強ができなくなりました。母親の病室で問題を解く日もあったくらいです。12月くらいには『あぁ、今年はもう間に合わないな』と思いました」
偏差値109でも通用しなかった東大受験
結局、迎えたセンター試験では693/900点と8割を切ってしまい、2次試験には進めたものの、受け終わってすぐに不合格を確信しました。
彼はこの年に落ちてしまった原因を「単純に対策を始めるのが遅かった」と振り返ります。
「高3の1年間で基礎を終わらせた時点でもうダメだったんです。夏から英文法などを1から全部やりましたから……。高2の時にセンター試験と同日に同内容の模試を受けたとき、ぴったり450点だったのが1年で700点近くまであがったのですから、高2のこの時点で気づいて勉強をしておけば間に合ったかもしれません。それが悔やまれます」
布施川さんは、家庭状況が厳しい中でも浪人を決めます。
そのような状況の中でも決断した理由は、東大に入れる希望が見えたことが大きかったそうです。
「東大の得点開示を見たとき、最低合格点から40~50点差でした。完全に実力不足による不合格なのですが、夏に受けた模試では200点以上足りなかったんです。夏からこれだけ成長しているんだから、あと1年やればいけるという確かな感覚がありました」
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