まずは、政治家たちだ。政治家といっても、政府の政治家、つまり、内閣と、議会の政治家とはまったく別物だ。もちろん「権力があるのは内閣である」といいたいところだが、日本銀行の場合には独立性が担保されている。
したがって、内閣には実は何もできないのだ。だから、内閣の意向は理論的には無視すればよい。しかし、そうなると、世の中すべて、内閣の側についたとき持たない。
現実には、昨今のポピュリズムの下では、議会だけでなく、内閣もポピュリズムに屈し、世間にすべてを支配されてしまう可能性がある。よって、現実的な戦略としては「内閣とは関わりをできる限り減らす」ということになる。つまり、内閣と日銀の関係というのがまったく意識されない状態を作り出すことだ。
だから、いわゆるアコード(政策協定)には触らないほうがよい。本当は廃止するのがいいが、危機の現在では触らない。何の改定、修正もしない。それがベストだ。ベストではないアコードであっても(現在のアコードは明らかに内容的には不適切だ)、ベストでないままで維持するのがベストなのだ。話題にならないようにすることだ。
第2の敵は議会である。これも騒がしいが、結局は適切な政策を続けていけば、そして国会で丁寧に説明を続ければ、現状の均衡を保てる。現状維持でいいのだ。
問題は「日銀法改正」を持ち出してくる政党が現れるかどうかだ。そうした可能性はあるが、内閣との摩擦がなければこれはやり過ごせる。丁寧に現在の政策を説明し、誠実に努力する姿を見せ続ければ、世論は向こうにつかない。大丈夫だ。
「政治家」でも「議会」でもないとすると、日銀の敵は?
となると、敵は結局、誰なのか。
実は、敵はいない。明確に戦うべき敵はいないのである。
植田新日銀は「闘う意思」を内に秘めたまま、戦わずして勝つ。これが中央銀行最大の危機を抜け出す唯一の道である。
闘う意思を持たなければ「アベノミクスを継承しろ」「明確に金融緩和を拡大しろ」という声や、「利上げを急げ」「世界に遅れるな」という逆の声、「インフレをどうするんだ」「国民の痛みがわからないのか」という弱者の代弁者のふりをした脅しなど、さまざまな声や世間の攻撃に流され、吹き飛ばされ、倒壊されてしまうだろう。
このような雑音と議論し、闘う意思を固めたうえで、丁寧に説明をして、やり過ごす。当たり前のことだが、明確な敵よりもはるかに手ごわく、永遠の忍耐強さが求められる。これに耐え続け、政策としては淡々と正常化を進める。まっとうな経済学者なら考える、以下のような政策だ。
すなわち、イールドカーブコントロールは撤廃するが、長期国債買い入れは継続する。そして長期金利を安定させる。その次はETF(上場投資信託)買いをやめ、処分の方向性を検討し、動き始める。そして世論からの攻撃が収まったところで、マイナス金利解消、短期金利について状況を見ながら調整する。細かい手順はもちろん状況次第だ。いま述べたような順番も、臨機応変に変えていく。
しかし、軸は正しい金利水準に保つ。それだけだ。そのときの経済状況に合わせた金利水準で安定させ、必要になれば、それを誘導し、次のあるべき水準で安定させる。
だから、何も難しいことはない。しかし、植田新日銀は闘志を内に秘めたまま辛抱強く正しい政策を続け、戦わないような状況を維持し続けるために世間というものと対峙し続ける。この忍耐強い5年間が求められるのであり、おそらく植田日銀はそれを完遂するだろう。
(今回は競馬コーナーはお休みです。ご了承ください。当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
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