テレビは「こどもの国語力」の基盤になりうるか テレビが目指すべきネットにはない「網羅性」

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あるいは、バラエティ番組では、ひな壇の芸人さんたちが、それぞれの語彙や表現で異なる視点で話をします。これによって子どもたちは方言やオノマトペやアイロニーの使い方を知ったり、他者の価値観や新しい視点を吸収したりします。こうしたことは、子どもたちの語彙力や表現力を豊かにすることに繋がるでしょう。

映画やドラマにも意味があります。「金曜ロードショー」や「月9」などと呼ばれる枠では、ラブコメ、サスペンス、アニメ、ホラー、ヒューマンドラマなど多様なジャンルの物語が流れます。そこには、警察、障害者、LGBTQ、精神疾患、いじめなどさまざまな問題が凝縮されています。それは社会を立体的に把握することに効果的です。

このように考えると、テレビはネットのそれと違って、多種多様な情報を横断的に取り入れることができますし、いろんな芸人さんの語彙や表現をシャワーのように浴びることができます。そして、映画やドラマにおいても、好き嫌いを問わず、あらゆるジャンル、テーマ、問題を網羅できるのです。

テレビは横断的な情報を発信すべき

一時代前、テレビを見ている子どもは「テレビばかり見ないで新聞や本を読みなさい」と怒られたものです。それは新聞や本のほうが国語力を強化することに役立つからでした。これから先は、「ネットばかり見ないでテレビを見なさい」と言われる時代が来るかもしれません。

ただし、そうなるには、テレビが恣意的にその立場を確立する必要があるでしょう。テレビの側、家族や社会の側が、それぞれ意識してテレビによって子どもの国語力を育てる役割を、取り組みをしなければならないのです。

テレビの側としては、先に述べたような役割があるという認識のもとに番組作りをしなければなりません。その点、バラエティがユーチューブ動画から面白いものを選別して紹介していたり、売れっ子芸人だけの意見を流し続けたりするのはナンセンスです。むしろ、それとは真逆のことが求められるはずです。

家族や社会の側は、みんなでテレビを見て語り合う(討論する)時間にすることが重要になるでしょう。テレビの情報は一方的であり、ともすれば流されてしまいます。だからこそ、ニュースでも、ドラマでも、家族など何かしらのグループで学習という意識を持ち、同時に同じものを見て、内容を語り合い、教養の向上に繋げる必要があるのです。それには家族や社会がテレビの役割を理解し、意識してやらなければならないことです。

これから先、世界のグローバル化、情報化は急激に進んでいくでしょう。社会は想像できないほど多様化し、いろんな形で分断が起きるはずです。そうした社会の中で必要となるのは、自分に合った特定の情報だけを取捨選択したり、氾濫する情報の波に飲み込まれたりすることではありません。それとは真逆のこと、つまり横断的に情報を取り入れながら国語力を磨き、複雑化した世界を正確な言葉と思考で把握し、切り開くことです。そのときに、テレビが一定の役割を担うことは決して絵空事ではないはずです。

石井 光太 作家

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いしい こうた / Kouta Ishii

1977年、東京都生まれ。海外の最深部に分け入り、その体験を元に『物乞う仏陀』を上梓。斬新な視点と精密な取材、そして読み応えのある筆致でたちまち人気ノンフィクション作家に。近年はノンフィクションだけでなく、小説、児童書、写真集、漫画原作、シナリオなども発表している。主な作品に『絶対貧困』『遺体』『43回の殺意』『「鬼畜」の家』『近親殺人』『こどもホスピスの奇跡』(いずれも新潮社)『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『教育虐待: 子供を壊す「教育熱心」な親たち』など。

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