すかいらーく発祥「ひばりが丘団地」64年経った今 古い団地とベランダはなぜ「保存」されたのか

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当時、保谷町に在住していた茅野亮(ちの・たすく)は弟2人と共に乾物屋の起業を考えていた。ひばりが丘団地の話を見た茅野と弟2人は早速ひばりが丘団地に店を構える計画を始め、団地内にある2つの商店街のうち、店舗の入れ替わりが激しい交差点近くの貸店舗に乾物屋「ことぶき食品」を1962年に開業した。

団地北側の商店街。以前はアーケードもあったが、撤去されている。画像奥の交差点近くに「ことぶき食品」が立地していた(筆者撮影)

「ことぶき食品」は従来の食料品店の暗いイメージを払拭した明るい店内を意識し、また団地住民の需要を取り入れて小分け販売を実施、乾物以外にも客からの要望があれば取り扱いを行うといった店作りで人気となった。この人気から開業翌年からは西武池袋線・新宿線・中央線の沿線に店舗を増やしていき、1968年までに6店舗を構えるまでになった。

この「ことぶき食品」はその後、セミセルフのスーパーマーケットに競り負けはじめるが、一気に外食事業に転換、のちに有名外食チェーン「すかいらーく」となる。「すかいらーく」は英語で「ひばり」という意味で、これは「ことぶき食品」が開業した地、「ひばりが丘」の名前をとったものである。

このように、ひばりが丘団地における人々の生活は1つの有名企業をも生み出したのである。

建築から30年古さが目立つように

華々しくも合理的な団地生活のイメージを形作っていったひばりが丘団地。しかし建設から30年以上経過すると、住宅のスタイルや生活のスタイルも変化し、憧れだった団地は古さが目立つようになっていった。

そこで時代に合った住宅の提供に向け、1999年から建てかえ事業が始まる。

建替事業ははじめ、住棟を182棟から5~12階建て70棟弱に建てかえ、約600戸の団地を供給するという計画であった。

まず全体を2期に分け、北側のエリアから建てかえをはじめ、1期は2ブロック合計27棟約1500戸を建設し、最終的には66棟約3600戸を建設予定とした。住戸は従来の2DKから、1Kから4LDKと幅広い間取りを提供し、面積も平均37㎡からひろげ、41㎡から100㎡とする計画だった。

しかし、この計画は大きな変更が加えられることになる。その大きなきっかけが2004年に独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が発足したことだ。日本住宅公団から数えて3回目の改組で生まれたUR都市機構はこれまでの住宅団地運営の方針を転換する。

そして、2007年には「UR賃貸住宅ストック再生・再編方針」で従来建設してきた住宅ストックを2050年頃までには約3割減らすことが発表された。

このような管理住戸の削減を含む全体的な事業の見直しの中で、ひばりが丘団地の建てかえ計画は大きく変更されることとなる。

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