「生きづらさ」感じる社会をつくる1つの価値観 自分の価値を見失わず、生き抜くための思考法
イリイチの言葉を借りると、交換形式で手に入れたものが商品であり、菜園や共有地からとれた基本的な生活物資を生み出す術のことを手づくりと呼ぶことができます。
ただ、手づくりにはさまざまな力を必要とします。手先の器用さであったり、冷蔵庫のありものをどう使おうかといった合理的な考え方であったり、1人ではできないことを家族や友人と一緒になってつくろうとするつながりを維持する力であったり。
だから、最初から完璧にはできないのが手づくりです。できるようになるためには「ある程度の時間」が求められる。これが現代社会において手づくりが敬遠されるゆえんでしょう。
現代社会の外部にいったん立つ
繰り返しますが、僕は商品自体を否定しているわけではありません。なぜなら、商品が流通する市場があるからこそ、あらゆる人の手に届く可能性が生まれるからです。例えば、僕たちが転職を考えることができるのも、労働力が商品として流通する「労働市場」があるからです。
そういう意味では、商品化がもたらしてくれた「自由」という側面は否定すべきではありません。問題は商品化の波にのみ込まれ、僕たちが交換価値だけしか認められない社会をつくってしまったことです。
商品と手づくりが混在する社会をつくっていくためには、まずは意図的に他者ニーズの介在しない手づくりの時間を持つこと。そして、そういう時間を1人でも多くの人が持てるよう、他人の手づくりを応援することも大切です。
誰からも求められていなくてもいいし、誰も欲しがっていないほうがむしろいい。でも、同時に自分にとっては不可欠で、切実なものだととくにいい。誰も価値をわからないけれど、自分だけはそれを手づくりしてニンマリしてしまうような体験。それが現代社会の外部にいったん立つということなのです。
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