「生きづらさ」感じる社会をつくる1つの価値観 自分の価値を見失わず、生き抜くための思考法

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安藤がいうように、現代社会の大きな問題点は働けるか否かという「労働力としての商品価値」が人のいのちを測る基準になっていることです。しかし本来、人間や農作物は商品としての価値だけを持っているわけではありません。

商品としての価値とは、他者から求められているかどうかが基準となりますが、人間や農作物などの生き物はそもそも商品ではありません。

生き物は他者にとって有用かそうでないか、社会的に活用できるかできないか、役に立つか立たないかといった、他者のまなざしとは関係ありません。むしろ他者からは評価不能の価値を持っていることは明らかでしょう。

それは本来、価値という言葉によって表すことすらはばかられるようなものでしょう。そして僕は、生き物を商品として見るのではない、生き物を生き物として認める視点を取り戻すことが必要だと考えています。そのヒントが手づくりです。

「商品」に対する「手づくり」とは何か

手づくりの過程には、さまざまな要素が含まれます。本来、手づくりしたものは商品ではありません。他者のニーズがあろうとなかろうと関係ありません。とはいえ、手づくり品が商品ではないかというと、それは違います。手づくり品のほうが市場価値が高い商品も存在するからです。

しかし、ここで僕が手づくりと言っているのは、そのような「手づくり品」という商品のことではありません。商品になるとかならないとかいった議論の前段階の状態を、手づくりと呼んでいるのです。それはウィーン生まれの思想家イバン・イリイチが、ヴァナキュラーと名づけたものに近いものです。

ヴァナキュラーというのは、「根づいていること」と「居住」を意味するインド-ゲルマン語系のことばに由来する。ラテン語としてのverunaculumは、家で育て、家で紡いだ、自家産、自家製のもののすべてにかんして使用されたのであり、交換形式によって入手したものと対立する。(中略)ちょうど菜園や共有地からとれた基本的な生活物資のように、ヴァナキュラーな存在である。(I.イリイチ、玉野井芳郎・栗原彬訳『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う』岩波現代文庫、127頁)

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