【前編】優しさを拒絶する7歳の彼女が抱える傷 勉強が苦手で友達もいない、その裏にあった事

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「学校は楽しいですか?」

穂乃果さんは困ったように首を傾げた。それから彼女は、私の首元から下がっているネームプレートを見て、

「これ、なんて読むの?」と小さく言った。

「あ、これはね、『うえはら』と読むんだよ。ちょっと難しいね。まだ、習っていない漢字だよね?」

「うん」

今度は声をだして頷いた。私があらためて質問した。

「お名前を教えてもらってもいいですか?」

「美山穂乃果です」

小さいが、はっきりと言った。

彼女の雰囲気からにじみ出る緊張感から判断すると、私には知的障害があるようには思えなかった。校長と同意見だった。

教員とは違う視点で見ることの大切さ

だが、確信を持って判断するためには、もう少し「濃い」情報がほしい。私は、穂乃果さんが通っている「放課後子ども教室」(以下、子ども教室)の職員から話を聞くことにした。子ども教室は、子どもの放課後の居場所を確保する事業のことで、学童クラブにやや近い形態を持っている。

子ども教室の職員たちの子どもを見る視点は、いつもストレートだ。教員とは違って、勉強の「できる」「できない」、授業の進行の妨げに「なる」「ならない」といった表面上の情報で子どものことを評価しないし、私のような専門家とも違って、障害の「ある」「なし」「〜障害の傾向」などと、なにかしらの型にあてはめようとする偏った見方をしない。

私は子どもと関わる関係者から普段の様子を細かく聞きとる。児童精神科医が診察する数分間、知能検査を実施する数時間、私が彼女を見た数十分のあいだよりも、子どもの本質を判断することができる情報を日ごろから多く手にしているからだ。

なにかのきっかけがあってはじめて子どもと関わりを持つ私のような専門家とは違って、いつも子どもと接している。だから、子どもの気になる言動については、私よりも、かなりの情報量を持っている。そこに重要な情報が凝縮されている。

穂乃果さんが子ども教室にきた日のことを、職員の小川さんが私に聞かせてくれた。小川さんは、いつも熱心に子どもに関わってくれている。

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