米中の半導体戦争が過去の日米競争と次元違う訳 日本の事例から正しい教訓を学べるかがカギだ

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アメリカには、冷戦時代のような広大で実存的なイデオロギー闘争を行うための物的資源や政治的・行政的結束力がない。権威主義的な中国共産党がアメリカの技術を使って軍事能力を高め、人権抑圧に使う恐れは現実的であり、アメリカはそうした悪用を防ぐためにできることを行うのが望ましい。

しかし、このような問題に対処するための措置は、アメリカが有する資源と政策目標を一致させる広範な戦略の中に位置づける必要がある。中国との競争はそれだけでは戦略とは言えない。アメリカの行動を達成可能な戦略目標にリンクさせない限り、予期せぬ結果のリスクは増大し、アメリカとその同盟国にさらなる課題をもたらすだろう。

少なくとも、日本との競争がどうなったかは、後知恵でわかる。1989年にウォーショフスキーの本が出版されて間もなく、日本が半導体技術のリーダーではあったけれども、日本のバブル経済が崩壊し、それに伴って日本からの地政学的な挑戦の気配も消えていった。

アメリカの貿易収支を好転させた真因

結局、日米半導体協定が、アメリカの貿易収支を好転させたのではなく、日本のバブル経済の崩壊と、アメリカのイノベーションが貿易収支を回復したのである。日本が覇権主義的な競争相手ではなく同盟国であったことも、アメリカが現在、中国に対して抱いているような、より大きなシステム上の課題の一部と見なすのではなく、アメリカの懸念を抑制するのに役立ったのである。

そのため、ミラーの著書とウォーショフスキーの著書の間には20年の開きがあるにもかかわらず、両書とも同様に、アメリカの技術的優位が外国の挑戦者に脅かされている、という書き出しになっている。

1989年の日本との半導体戦争が、日米関係の歴史の中でしゃっくりのように扱われていることは多少の救いである。アメリカは、その経済の開放性と世界のどこからでも優秀な人材を集める能力に支えられ、また日本が半導体分野でのプレーヤーであり続けたことによって、日本のイノベーション能力に頼ることができたのである。

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