アインシュタインの「余命を延ばした」手術の全容 偉大な科学者の動脈瘤を「セロファンでくるむ」

拡大
縮小

非常に危険な状況にあったにもかかわらず、アインシュタインは術後の回復が早く、わずか3週間後に退院した。手術から4年後には、イスラエルから大統領の職を打診されてもいる。

亡くなる前の7年間、アインシュタインはプリンストン高等研究所で科学の研究を続けたが、相対性理論を超える輝かしい成果を生み出すことはなかった。とはいえ、彼が重力の法則と量子力学の法則を調和させようと報われない努力をする間に、彼の動脈瘤ではラプラスの法則(動脈瘤の血管壁にかかる張力は、内径に比例するという法則)が働いていた。

動脈瘤が大きくなるほど、血管壁にかかる張力が大きくなるため、動脈瘤が大きくなりやすいだけでは済まない。動脈瘤の壁が徐々に薄くなって、動脈瘤が拡大する速度が速くなり、破裂するリスクも高くなるのだ。

アインシュタインはただ運が良かった

1955年4月、アインシュタインは再び腹痛に襲われたが、今回は発熱と嘔吐もあった。76歳のときだった。今回もすべての症状は胆囊炎を示唆していたが(三徴候がすべてそろっていた)、当然ながら医師たちは急性腹部大動脈瘤を疑った。この頃には人工血管を使って動脈瘤を治療することが可能だった。

この手術の経験があるニューヨークの血管外科医フランク・グレンが、プリンストンに来て手術についてアインシュタインと話し合ってほしいと打診された。グレンはアインシュタインの自宅を訪れて手術を提案したが、彼は断った。

「人為的に命を長引かせるのは無粋なことだ。私に与えられた分は生きた。そろそろ行く頃だ。エレガントに行くよ」(『アインシュタイン その生涯と宇宙(下)』ウォルター・アイザックソン著、ランダムハウスジャパンより引用)

黒衣の外科医たち 恐ろしくも驚異的な手術の歴史
『黒衣の外科医たち 恐ろしくも驚異的な手術の歴史』(晶文社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

アインシュタインはモルヒネを投与されて、プリンストン病院に入院した。その2日後の4月17日の夜、アインシュタインは息を引き取った。彼の例外的な臨床症状――急性胆囊炎の三徴候を伴う破裂性動脈瘤――は、彼に敬意を表して「アインシュタイン徴候」と名づけられた。

では、ニッセンがおこなったセロファンを使った施術には効果があったのか? おそらくノーだ。アインシュタインはただ運が良かったのだ。

翌日、病理学者のトマス・ハーヴェイがこの世界的に有名な科学者の遺体を解剖した。その結果、喫煙者に特有の肺、動脈硬化、肝腫大、腹部大動脈瘤の破裂が認められ、腹部には2リットル以上の血がたまっていた。胆囊は正常だったが、アインシュタイン教授の脳の重さは1230グラムで、平均的な成人男性の脳よりも200グラム軽かった。

アーノルド・ファン・デ・ラール 外科医

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

Arnold van de Laar

1969年、オランダ生まれ。オランダにある総合病院で働く外科医。生物学の授業で人体の仕組みに魅了され、ルーヴェン・カトリック大学で医学を学ぶ。ヒマラヤ、チベット、アフリカなどを旅した後、カリブ海のセント・マーチン島で外科医のキャリアをスタートさせる。

この著者の記事一覧はこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT