アインシュタインの「余命を延ばした」手術の全容 偉大な科学者の動脈瘤を「セロファンでくるむ」

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同年、ベルリンの外科医ルドルフ・ニッセンもドイツを去ってイスタンブールへ移住した。ニッセンはアインシュタインほど有名ではないかもしれないが、ニッセン胃底皺襞形成術という術式によって、外科医の間では知られた存在だ。

この高度な術式は、胃食道逆流症(吞酸〈どんさん〉)の治療に用いられる。胃の内容物が食道に侵入して、胸焼けやげっぷといった不快な症状を引き起こす病気だ。

とはいえ、ニッセンは外科医としてはるかに大きなインパクトを残している。1931年、彼は史上初めて肺の全摘出を成功させた。彼はまた凍結切片法――手術中に、標本をすばやく顕微鏡で分析する方法――を開発し、食道の完全切除を初めておこなった人物でもある。

第二次世界大戦が勃発するとニッセンはアメリカへ渡ったが、医師としての資格が認められなかったため、まずは外科助手として働き、1941年にマンハッタンで開業した。ほどなくして、ニューヨークの2つの病院――ブルックリン・ジューイッシュ・ホスピタルとマイモニデス・ホスピタル――の主任外科医となり、高い評価を得ていった。

1948年、彼は勤務先の病院で有名な患者と出会う。当時、アルベルト・アインシュタインはすでに69歳だったが、それまでは健康に問題はなかった――生涯パイプを片時も離さず、運動をせず、きわめて不健康と言われた食生活のせいか、近年は少し太り気味ではあったが。

アインシュタインがニッセンの診察を受けたのは、数年前から右上腹部に痛みを覚えたからだ。痛みは何日も続き、嘔吐を伴うこともしばしばだったという。どれも胆囊炎の典型的な症状だ。

ところがアインシュタインは、プリンストンの自宅のバスルームで失神した話をして、そのときの様子を説明した。失神は胆石の典型的な症状ではない。X線を撮ったが胆囊に石らしきものはなく、おまけに身体を検査したところ、腹部の真ん中で大きな塊が脈打っているのがわかった。

もしかしたらこれは腹部大動脈にできた動脈瘤で、アインシュタインがバスルームで経験したこと――突然の痛みと失神――は急性腹部大動脈瘤の徴候かもしれない。だとしたら手術しなければ患者は急死する恐れがある。

偉大な科学者の動脈瘤を「セロファンでくるんだ」

今なら、ごく標準的な手術をすれば、許容範囲内のリスクで手術が成功する可能性が高い。69歳という比較的若い患者なら確実だろう。ただし、手術の成功には2つの前提条件があるが、1948年当時はどちらも満たす術がなかった。

1つ目は、手術の前にX線検査をおこなって、動脈瘤の大きさ(直径)、長さ、場所(腎動脈との位置関係)を特定することだ。現在では、造影剤を使ったCTスキャンや超音波スキャンで特定できるが、1948年にはどちらもまだ開発されていなかった。そのためニッセンは手術しながら戦略を練らなければならなかった。

2つ目は、患者のためにできる手立てがほとんどなかったことだ。腹部大動脈瘤の置換術が初めて成功したのは1951年、パリでのことだ。外科医のシャルル・デュボが、亡くなったドナーの大動脈の一部を使っておこなった。

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