防衛費増額で財源にこだわる人の根本的な問題点 むしろ「縛り」が必要なのは財務省のほうだ

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なお、財政収支の赤字を追加する必要がある場合に、必ずしも政府がお金の使い道を決めて「財政出動」する必要はない。とくに投資の決定にあって政府の非効率性は、古くから指摘されるところだ。減税あるいは給付金で国民が使えるお金を増やす方法のほうが、資源配分の歪みは少なく済むことを付記しておく。

経済状況に対する判断の議論を抜きに、国債が財源であるべきだとか、国債で賄うのは無責任だとか言い合っていて、しかも後者の議論には無用に硬直的な支出・財源対応システムが付随していたので、昨年末の防衛費財源をめぐる議論にはうんざりした。

短期的には「アコード」、長期的には効率分析

個々の財政支出の項目間の比較がなされていないし、税金についても税目ごとの適切性の比較が網羅的になされることはない。加えて、財政収支に対するコントロールも金融政策とバラバラで、国債の発行額がいくらなら適切なのかが論じられることもない。ただ毎年の数字に任せて、いつも一様にキャッチフレーズとして「財政再建」が語られるだけだ。しかも、そもそも「再建」が必要なのか、それがいつなのかの議論抜きにだ。

国家財政を再び企業財務にたとえるなら、支出も、収入も、ファイナンスもコントロールできずに漂う会社の財務部門のようだ。財政支出間、さらには税目間の相互比較の作業は必ず要るものだと思われるが、率直に言って、方法を作るにも実施するにも時間が必要だろう。

一方、財政収支とそのファイナンスについては、毎年コントロールが必要だし、直ちに手をつけることができる。

巷間、政府と日銀の「アコード」(政策合意)を見直す必要性について話題になるが、アコードがもっぱら日本銀行の金融政策の修正に関連するものであることはバランスを欠いている。とくにマクロ的な影響を考えた場合の財政のあり方について「縛り」を設けるためにこそ「アコード」が必要なのが現実だろう。

日銀は、財政の問題に口を出さないのが不文律であるかのように見受けるのだが、財務省や政治家に対して専門的な見地から注文をつける言語を持ってもいいのではないだろうか。

何はともあれ、個々の財政支出について、個別に対応する財源を論じる議論はすでに「有害」の域にある。「財源」「財源」と言い立ててドヤ顔をするのは古手の新聞記者などに多いように思うが(記者としては「上がり」で論説委員などが多い)、もう少し頭を使ってほしいものだと思う。

(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

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