そして、この時期から奨学生たちの、卒業後に奨学金の返済が滞る「延滞問題」が報じられるようになる。『サンデー毎日』(毎日新聞社/1960年9月4日号)の「奨学金21億円を返せ」では、奨学金の返済を延滞している者の家庭や職場に、直接“集金Gメン”を育英会が送り出していることを報じている。
家庭や職場に集金Gメンが
記事によると「いままで直接、集金におもむいたことは一度もなかった。外務員【編注:集金Gメンの本来の呼び名】制度は、あくまでも不良貸付を解消するための新しい措置」と紹介。どうやら、延滞金の督促が本格化していくのは、60年代後半以降のようだ。
一方、集金Gメンの存在が新聞などで報じられた結果、ニセのGメンが出てきて詐欺事件も横行しているという。立場の弱い人間をカモにした詐欺は到底許されるはずがないが、それでも、延滞者の中には5年間以上も返済していない、“札付き”もいたようなので穏やかではない。
それでも見方を変えれば、この当時から「特別猶予」や、実際に外務員が督促に行っても、猶予してもらえるケースもあったようだ。さらに、こうした延滞問題を解決すべく、1959年から銀行口座に預金しておけば、自動的に育英会に振り込まれるシステムも開始されたという。
しかし、この記事から2年後の『週刊朝日』(朝日新聞社/1963年4月12日号)には「44万人がコゲつかせた28億円」という記事があり、延滞金額が短期間で大きく増えている。
記事によると1963年3月28日に育英会が、奨学金を借りっぱなしにしている43人に対して、簡易裁判所を通じて強制取立てに踏み切った翌日以降、朝から延滞者たちが返済のために育英会本部に飛んできたという。ただし、記事によると、この強制取立ての報道以前から、育英会は内容証明付きの督促状はすでに送っていたようである。
このように、60年代に入ると、奨学金の返還率が悪化したことで、貸している側の育英会が責め立てられる論調の報道が目立った。奨学金は国の予算で賄われているため、当然と言えば当然の流れだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら